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私は戦前の一九三〇年に岩波文庫版でレーニンの『唯物論と経験批判論』を読みました。(当時白揚者社版もあった。)が、そこに述べ歩しているとしか思えなかったからです。この修正はまた『哲学ノート』にも見られました。しかしミーチンはじめソ連の哲学者は、この退歩を反省して是正するどころか、逆にレーニンのほうが進歩られている真理論には納得できませんでした。『反デューリング論』のそれにくらべて修正であり退していると解釈して、「哲学のレーニン的段階」と名づけてまつりあげ、日本でも永田広志や蔵原惟人が口まねしました。何とも滑稽な光景でした。哲学者という人種はよっぽど頭が悪いのか、あるいは『反デューリング論』をまじめに読んでいないのか、とにかく困ったものだ。この真理論についてはML研究所あたりで検討委員会でもつくったらどうか、というのが私の結論でした。戦後に私が「ミーチン=唯研的偏向の克服」を説いたときにもこの真理論を意識していました。しかし、これからレーニンを問題にしようと考えていたところにスターリンの言語論文が出たので、レーニンは後まわしにしなければなりませんでした。この真理論は毛沢東の『実践論』にも受けつがれました。言うまでもなくソ連の教科書の影響です。
そんなわけで、この真理論についての私の批判は、まず六〇年に理論同人誌『現状分析』に「真理論におけるレーニンの誤り」を書くことではじまり、さらに『現代の眼』六三年十月号の論文「レーニンから疑え」で問題にした。
レーニン真理論の批判 真理論におけるレーニンの誤り―― レーニンから疑え第一部 革命家と政治家の裂目 レーニンから疑え レーニンをどう学ぶか 矛盾闘争はなぜ行きづまったか 第二部 『反デューリング論』をめぐって マルクス主義における「交通」概念 唯物史観と意志論 四つの書評 第三部 弁証法とは何か |