レーニンから疑え(一部省略)


   1 ソ連マルクス主義の中国のマルクス主義への浸透
   2 レーニンのフォイエルバッハへの後退
   3 エンゲルスの真理論のレーニンによる修正
   4 レーニンの矛盾論の持つ欠陥
   5 毛沢東矛盾論はさらに後退する
   6 矛盾論の誤謬は粛正の論理を生む
   7 非敵対的矛盾の無理解と国家論の修正
   8 社会主義的賃金論はふみにじられている
 

 2 レーニンのフォイエルバッハへの後退

―p.39―

 レーニンが一九〇九年に公にした『唯物論と経験批判論』は、党内の思想闘争をどうすすめるかについて、模範を示したものといえよう。レーニンは、政治的党派としては自分と対立した立場をとっているプレハーノフが、マルクス主義の基本的な観点を堅持している点では自分の同志であるボグダーノフたちよりも正しいことを知って、哲学論争に参加して敢然とプレハーノフを擁護し、ボグダーノフたちを痛烈に批判した。代々木のように、党員のいうことはすべてマルクス・レーニン主義であり、脱党者や除名者のいうことはすべてまちがいであるから耳をかたむけてはならぬというような、政治的党派と理論上の正否とをいっしょくたにする態度をレーニンはとらなかったのである。政治的党派のいかんは、理論的に正しいか否かを保障するものではないと、レーニンは教えているのである。けれども当時のレーニンの哲学研究はまだ十分ではなかった。ゴリキイあての手紙にも「私たちは単純なマルクス主義者です。哲学はよく読んでいません。」とのべられているが、マルクスおよびエンゲルスの著作にもられた哲学思想を十分にくみとるだけの条件を持っていなかったにもかかわらず、同志たちが観念論にまどわされているのを知って、マルクス主義擁護のために立ち上がったのである。ところが官許マルクス主義にあっては、レーニンのこの本はマルクスおよびエンゲルスをさらに前進させたものとして聖書あつかいされている。ソ連の哲学者はつぎのようにのべている。

「レーニンは、客観的に存在する世界の反映論としての弁証法的唯物論の認識論を全面的にしあげた。彼は、認識の歴史的発展過程の複雑な弁証法的性格を示し、絶対的真理と相対的真理の弁証法の基礎をきづいた。」(『哲学教程』)

 事実はこのような信仰的解釈とまったく反対なのである。レーニンは決して「全面的」にしあげていないばかりでなく、後退させているのであり、絶対的真理と相対的真理の弁証法の基礎をきづいたのもエンゲルスであって、レーニンはそれを修正してしまっているのである。これからその点をくわしく説明しよう。

 このレーニンの神格化には、スターリンが一役買っていた。彼は自分が「レーニンの弟子」であることを、そのもっともすぐれた弟子であることを、一枚看板にしたのである。革命運動におけるレーニンの同志たちが、哲学的論文を書いたとき、レーニンと肩をならべるだけのものを書けなかったことは事実であるが、彼らがレーニンを神格化しなかったこともまた事実である。スターリンは、彼らの哲学的論文にあやまりがあったことと、彼らがレーニンを神格化しなかったことを意識的にむすびつけ、彼らは「反レーニン的」だと攻撃した。レーニンの哲学活動を過大評価しないことと、彼の革命運動への功績を高く評価することは別の問題である。けれどもソ連の国民が革命の指導者としてのレーニンを崇拝している中で、この「反レーニン的」というレッテルをはることは、「反革命的」ないし「反ソ的」と受けとられるようなムードを生み出していく。スターリンは、かつてのレーニンの同志たちを、「反レーニン的」だとよぶ一方、自らを「レーニンの弟子」だとよぶことによって、国民が一方を「反革命的」分子、他方を「革命的」指導者だと拡大解釈するようにしむけ、そこから粛清へと持っていったように思われる。

 マルクス主義者が入門書として一度は目を通す、エンゲルスの『フォイエルバッハ論』には、フォイエルバッハの唯物論的見解がマルクスやエンゲルスを感激させたこと、フォイエルバッハは社会についての理解が観念論的であって、マルクスやエンゲルスがそれを克服したこと、がのべてある。多くのマルクス主義者は、これだけを読んでフォイエルバッハに対する過小評価と過大評価とが生れてくるのである。一方では、フォイエルバッハの宗教批判およびヘーゲル批判における観念論的な自己疎外の解明を軽視する傾向が、他方では、フォイエルバッハの社会観以外の唯物論的見解をそのまま正しいものとして受けいれる傾向が生れてくるのである。しかし、フォイエルバッハの真理についての説明をしらべてみると、決してそのまま受けいれてはならないことがわかるのであって、『将来の哲学の根本問題』はこんなことを主張している。

「人間と人間との共同は真理と普遍性の第一原理であり、基準である。他の事物の、私の外部における存在の事実性すらが、私にとっては他の人間の、私の外部における存在の確実性によって媒介されている。私ひとりが見るものについて私は疑いを持つ。他のものがまた見るものにしてはじめて確実なのである。」
「君の思想そのものが思惟されうる故にのみ、君は思惟するのであり、それらが客観性の試錬に堪えるときにのみ、それらを対象とするところの君以外の他の者もまた承認するときにのみ、それらは真である。」
「真理は、思惟に存するのでも、そのもののみとしての知識に存するのでもない。真理はただ、人間の生と本質との総体にすぎない

 真理の基準には他の人間の承認が必要であるとか、知識そのものだけが真理ではなく人間の生と本質すなわち客観的な存在そのものも真理だとかいうのである。実に、フォイエルバッハがこのような真理論をのべたからこそ、マルクスの『フォイエルバッハ・テーゼ』第二項で、「実践において人間は真理を、すなわち彼の思惟の現実性と力、その此岸性を実証しなければならない。」と、実践および真理の此岸性が強調されたのである。ヘーゲルでは思惟そのものが彼岸にある。自然の背後に絶対精神として存在している。真理は思惟だというとき、ヘーゲルでは文字どおり「客観的」なものとして存在するわけである。マルクス主義はこの彼岸にある思惟を、人間が対象の反映としてつくり出すものとして、此岸的な存在に還元するのであるから、真理もまた反映としてしか存在しないことになる。この点で、自然の背後にある絶対精神は否定したけれども、しかもなお客観的な存在そのものを真理だとよんでいるフォイエルバッハは、中途半端だといわなければならない。

 不幸なことに、レーニンはこの点を理解できなかったのである。その結果、彼はフォイエルバッハの『唯物論と唯心論』をそのままうのみにした。そこに説かれている、フォイエルバッハ的な「客観的」真理の規定をそのまま受けいれて、それでマルクスの『フォイエルバッハ・テーゼ』を解釈してしまったのである。いい変えるなら、マルクスをフォイエルバッハまでひきもどし後退させて、真理を論じたのである。

 フォイエルバッハは書いている。

「観念論と自称する現代の哲学的唯心論は、唯物論に対してつぎのような――その意見によれば唯物論を根絶するところの――非難を与えている。唯物論は独断論である。即ちそれは確定的なもの、客観的真理としての感性的世界から出発し、この世界をそれ自体における、すなわち我々なしに存立する世界とみなす。しかし世界はただ精神の産物にすぎないのだ、と。」

 そしてレーニンはいう。

「フォイエルバッハが、唯物論は究極的な客観的真理としての感性的な世界から出発するといっている。」

 マルクスの『テーゼ』第二項は、「対象的真理(gegenständliche Wahrheit)が人間の思惟に到来するかどうかという問題は、「何ら理論の問題ではなく、実践的な問題である。」とのべている。対象であるお菓子がうまいかまずいかと予想を立てるのは思惟の活動であるが、それは食べてみるという実践によって、訂正されあるいは確認される。ここで真理であるか否かが証明される。対象的真理とは対象から与えられた真理の意味である。ところがレーニンはこの対象的真理をフォイエルバッハ的に、客観的な世界そのものに解釈して、「思惟の『対象的真理』とは、思惟によって真に反映される対象(=『物自体』)の存在をいいあらわしたものにほかならない。」強調はレーニン)と、マルクスが対象である物自体を真理とよんだかのように主張したのである。このあやまりは、のちの『哲学ノート』にもそのまま受けつがれている。

「人間の意志、彼の実践が自ら己の目的の達成を妨げるのは……認識から自己を区別し、外的現実性を真に存在するものとして客観的真理として)認容しないからである。」
「人間の活動は、外的現実性を変化し……この現実性を即自対自的に存在するもの客観的真理として)となす。」
「ヒュームおよびカントは”現象”のうちに現象する物自体を見ず、現象を客観的真理から切りはなし……」

 レーニンは、外的現実性あるいは物自体をそのまま客観的真理とよんでいるから、客観的真理を認めるということはとりもなおさず外的現実性あるいは物自体を認めることになる。したがって、唯物論者しか客観的真理を認めないわけであり、『唯物論と経験批判論』でもこの立場で真理論が展開されている。

「客観的真理が(唯物論者の考えるように)存在するとすれば、そしてただ自然科学のみが、外界を人間の『経験』の中に反映することによって、客観的真理をわれわれに与える能力があるとすれば、あらゆる信仰主義は無条件的に拒否される。」

 彼はこの立場からマッハ主義者に対して、客観的真理の存在を認めるかどうか、すなわち物自体の存在を認めるかどうかとせまった。ボグダーノフに対してもつぎの問題を提起した。

「(一)客観的真理は存在するか? 即ち人間の表象の中には、主観に依存せず、人間にも人類にも依存しないような内容があり得るか? (二)もしあるとすれば、客観的真理を表現する人間の表象は、この真理を一度に、すっかり、無条件的に、絶対的に表現し得るのか? それともただ近似的に、相対的に表現し得るにすぎないのか? この第二の問題は絶対的真理と相対的真理の問題である。」

 表象の「人間にも人類にも依存しないような内容」とは、たとえば人類の存在しない以前における地球であり、この地球を物自体として認めることが客観的真理の存在を認めることなのである。この物自体を反映することが、レーニンのいう「客観的真理を表現」することなのである。ここでいう「表現」は、フォイエルバッハが「味としての苦みは、塩の客観的性質の主観的表現である。」とのべているのと同じ使いかたであって、芸術のように主観から客観へと表現する意味ではなく、客観から主観への反映を意味するのである。第二の問題は、人間は物自体を一度に反映することができるか、それともただ近似的にしか反映できないのかという問題である。

 ここでは、絶対的真理が客観的真理の無条件的・絶対的な反映だということになっているが、さきを見ると、絶対的真理はまた絶対的自然の意味にも、客観的真理の意味にも使われている。

「現代唯物論、即ちマルクス主義の見地から見れば、客観的・絶対的真理へのわれわれの近接の限界は歴史的に制約されている。だが、この真理の存在は無制約であり、われわれがそれに近接するということは無制約的である。画像の輪郭は歴史的に制約されている、だがこの画像が客観的に存在するモデルを描写するものだということは無制約的である。……一口にいえば、あらゆるイデオロギーは歴史的に制約されている。だがあらゆる科学的イデオロギーには(たとえば宗教的イデオロギーと異って)客観的真理、絶対的自然が照応するということは無制約的である。」

 レーニンが、このように客観的に存在するモデルそのものを真理とよんだことは、マルクス主義に反しているけれども、このあやまりはさらに真の弁証法的な把握を妨害する結果にならざるをえない。なぜならば、真理は誤謬に対立するものであり、弁証法は真理と誤謬を対立物の統一として、のちにエンゲルスの引用において明らかなように相互に転化するものとしてとらえるのである。だが、客観的実在を客観的真理とよぶならば、これはどこまで行っても真理であって、誤謬に転化することはありえない。それゆえ、あらゆる真理は条件づきであり、誤謬に転化する可能性を持っていると云うマルクス主義の真理論は、この時代のレーニンにあっては暗黙のうちに修正されているわけである。

 

 3 エンゲルスの真理論のレーニンによる修正

―p.45―

 レーニンよりも半世紀前に、独学の労働者哲学者ディーツゲンは『人間の頭脳労働の本質』の中でこう書いている。

「真理は客観的でなければならない。すなわち、一定の対象の真理でなければならない。認識はそれ自体として真であることはできず、単に相対的に、一定の対象に関係してのみ、外面的事物にもとづいてのみ真でありうる。」

 これが、客観的真理ということの正しい理解である。客観的な外面的事物にもとづいて、あるいは一定の対象との関係において、この思惟この認識が真理とよばれるという意味である。レーニンの解釈のように、外面的事物あるいは対象そのものを真理とよんでいるわけではない。相対的ということも、一定の対象に関してのみ真理であるから対象が異れば誤謬となるという、誤謬との関係での相対性であって、全体的反映に対する部分的反映というような、反映が制約されているという意味での相対性ではない。

 レーニンはこのディーツゲンの著作からいろいろ引用しているから、この文章にも目をとおしたにちがいない。では、なぜフォイエルバッハのあやまった真理論を受けいれて、ディーツゲンの正しい主張を無視したのであろうか? マルクスは、フォイエルバッハの著作にもディーツゲンの著作にも、混乱があるとのべていた。レーニンもそれは承知していた。しかし、こと哲学に関しては自分は素人にすぎないと自覚していたレーニンは、自分と同じように素人である労働者の哲学者よりも、専門家であり、インテリゲンチャであるフォイエルバッハのほうを、ヨリ信頼したのではあるまいか。そのために、ディーツゲンが真理を正しく弁証法的にとらえていたにもかかわらず、これを見のがす結果になったのではなかろうか。

 エンゲルスの『反デューリング論』は、ディーツゲンと同じ考えかたに立ってさらに具体的に論じている。

「真理と誤謬は、両極的対立において運動するすべての思惟規定と同様に、まさにただ極めて制限された領域に対してのみ、絶対的な妥当性を持つ。……われわれが真理と誤謬の対立をさきに述べた狭い領域以外のところに適用するや否や、この対立は相対的となり、それとともに正確な科学的な表現のしかたに対して役に立たなくなる。だが、もしもわれわれが、この対立を絶対的に妥当するものとして、そうしてそうした領域以外に適用しようと試みるならば、われわれはそれこそ破局におちこんでしまう。対立物の両極はその反対物に転化し、真理は誤謬となり、誤謬は真理となる。」
「思惟の至上性は、きわめて非至上的に思惟する人間の系列を通じて実現され、無条件的真理要求を持つ認識は、相対的誤謬の系列を通じて実現される。」

 これこそマルクス主義における絶対的真理と相対的真理との関係なのである。そしてマルクス主義は、相対的真理に対応するものとして相対的誤謬という概念を提起するのである。ところがレーニンは、この相対的誤謬についてはなんら説明を与えていないし、ソ連の官許マルクス主義の教科書もまったくこれを無視している。哲学の教科書に真理論はあるが誤謬論は存在しない。これは、レーニンこのかた「相対的」ということばの意味があやまって解釈されているために、誤謬が相対的であるといわれてもどう説明したらいいか途方にくれてしまうのである。

 さきの引用文を冷静に読めばすぐわかることだが、エンゲルスが絶対的とか相対的とかいうのは真理と誤謬の対立についてであり、両者の関係についてであって、それ以外の意味ではない。相対的真理というのは、誤謬との対立が相対的であるような真理、つまり認識の中にわずかではあるが誤謬が入りこんでいてもはや絶対的に真理であるとはいえないような真理をさしている。エンゲルスは誤解を受けないように、ボイルの法則を例としてとりあげた。この法則は、気体の体積がその受ける圧力に反比例するというものであるが、圧力が気体の液化する点に近づくともはや妥当性を失ってしまう。すなわち対象のこの領域に対しては法則は誤謬なのであって、エンゲルスのことばをかりるならば、相対的真理とは「それに少しばかりの誤謬がこびりついている」法則や命題をさすことばである。相対的誤謬はこれと逆になる。つまり真理との対立が相対的であるような誤謬、わずかではあるが真理が入りこんでいるような誤謬をさしている。相対的真理をさらに対象領域を無視してひろげていくとその反対物に転化して、相対的真理の真理の部分が誤謬に、誤謬の部分が真理になって、ちょうど裏返しのかたちになって、相対的誤謬とよばれることになるわけである。

 簡単な例をあげてみよう。「国鉄は地上を走る」「地下鉄は地下を走る」は真理で、「国鉄は地下を走る」「地下鉄は地上を走る」は誤謬であるが、これらはいずれも相対的真理・相対的誤謬である。なぜなら国鉄も丹那トンネルでは、地下を走り、地下鉄も後楽園では高架の上を走っているからである。もし対象領域を無視して、これらのところにさきの相対的真理を押しつけるなら、「国鉄は地上を走る」「地下鉄は地下を走る」はもはやだ問うせいを失って誤謬に転化し、反対に相対的誤謬であった「国鉄は地下を走る」「地下鉄は地上を走る」という規定が真理に転化する。そして人間の認識の発展においては、相対的誤謬が真理の資格を与えられて君臨することも決して珍しくない。たとえばわれわれが誤謬だと思う宗教の教理や、自然科学史にあらわれた天動説や、あるいはヘーゲル観念論なども、決して絶対的誤謬ではなく、そこに真理をもふくむのであって、またこの真理のおかげで説得性を持っている。そしてこれらの相対的誤謬が批判され克服されるときにも、その中の真理は新しい正しい理論の中にすくいとられ保存されていく。すなわち止揚されていく。天動説は本質的に逆立ちした、あやまった理論ではあるが、、地久の上に生活している人間にとって太陽が東から出て西に沈むように見えること、二四時間かかってまた前と同じ位置にやってくるということは、地動説になったところですこしも偏向されるわけではない。土地を買った人間がそこに家を建てようということになり、どこへ窓をつけたら日当たりがいいかと考える場合、天動説でも地動説でもその答に変りはないのである。

 レーニンのフォイエルバッハ的な解釈によると、対象的真理=客観的真理=絶対的自然=絶対的真理であって、人間の認識としてはこの客観的な世界をすっかり反映したものが絶対的真理、部分的に不完全に反映したものが相対的真理だということになっている。エンゲルスは絶対的とか相対的とかいうことばを、認識相互の対立に使ったのに、レーニンは対象と認識との対立にスリ変えてしまったのである。それでここから出てくる結論は、部分的に不完全に反映したものがつぎつぎにつみ重なってすっかり反映するようになるという考えかたであり、「相対的真理の総和から組成される絶対的真理」というレーニンの規定である。それゆえ、マルクス主義でいう絶対的真理はそれ自体絶対的真理としての資格を持ち、相対的真理にくらべて対象領域の幅がせまいのに、レーニンの「総和」規定ではこれがひっくりかえって、マルクス主義でいう絶対的真理は単にレーニン的な絶対的真理のひとかけらでしかなく、このレーニン的な絶対的真理は相対的真理よりも対象領域の幅がひろくなっている。しかも、注意しなければならないのは、マルクス主義でいう相対的真理はそこに誤謬がこびりついているのであるから、これをいくらつみ重ねても依然として誤謬はついてまわるわけであり、決して絶対的真理にはならないということである。ところが、レーニンの「総和」規定だと絶対的真理になるとされている。それゆえ、レーニンの「総和」規定を受け入れて、ここから真理論を展開していくと、この絶対的真理が誤謬を伴わない以上、これを組成する部分的な不完全な認識もまた誤謬を伴わないということになってしまう。したがってレーニンの「総和」規定を受けいれると、否応なしにマルクス主義でいうところの相対的真理を誤謬を伴わない真理にしてしまい、マルクス主義の意味での絶対的真理と同一視してしまう結果になる。

 ソ連の哲学者たちは、レーニンがマルクス主義の真理論をこのように歪曲し、相対的真理の概念を修正したことに気がつかなかったばかりでなく、反対にこれをエンゲルスよりも発展したヨリ高い段階の理論だと思いこみ、礼拝した。毛沢東もこれに無批判的に追随して、レーニンの「総和」規定をそのまま受けいれるのである。『実践論』は説いている。

絶対的真理の大きな流れの中では、個々の一定の発展段階での具体的な諸過程についての人間の認識は、ただ単に相対的な真理性を持つにすぎないものであると考える。無数の相対的な真理の総和こそが、つまり絶対的な真理なのである。」

 そればかりではない。中ソ論争の中国側論文は、「いついかなるときもマルクス・レーニン主義の普遍的真理を堅持しなければなりません。」というように「普遍的真理」という概念をあちらこちらで使っている。マルクスやエンゲルスの著作に通じている人たちは、こんな概念がどこにも使われていないこと、すなわちこれは中国側の創作になる概念であることを、容易に理解できるはずである。「普遍的」とは、中国側のいうように、いついかなるときにも妥当するという意味であるが、『反デューリング論』を開いてみればデューリングがつぎのようにのべていることもわかるはずである。「ほんとうの真理というものはけっして変化することのないものである。……であるから、時間や現実的変動によって認識の正しさがそこなわれうると考えるのは、総じておろかなことである。」すなわち「普遍的真理」はデューリングいうところの「永遠の真理」「決定的真理」と同じものであって、マルクス主義の概念でないばかりか、すでに八十年以上も昔にマルクス主義によってきびしく批判された形而上学的真理論を、マルクス主義的衣裳をまとわせて復活させたものにほかならない。この、相対的真理の絶対化は、レーニンによるエンゲルスの修正を受けついでさらに後ろ向きに発展させたことを意味し、ここに中国の教条主義あるいは「トロツキズムのくりかえし」をささえる認識論的な根源がある。たとえば、中国は核世界戦争においても正義の戦争不正義の戦争の区別が妥当すると主張した。

「正義の戦争と不正義の戦争を区別せず同一に論じたり、一律に反対したりするのは、ブルジョア平和主義の観点であって、マルクス・レーニン主義の観点ではない。」

 この区別は、いついかなるときにもあてはまる、「普遍的」真理であるというわけである。毛沢東が、戦争には正義の戦争と不正義の戦争とがあるという命題を、相対的な真理性を持つにすぎないと考えていたとしても、それはこの命題が戦争全体について完全に無条件的に認識したものではなく単にその一面をとらえたにすぎないからだというレーニン的な解釈である。エンゲルスのように、この命題にはそもそもはじめから少しばかりの誤謬がこびりついているのだとか、対象領域をひろげすぎると相対的誤謬に転化してしまうのだとか、考えてはいないのである。

 正義の戦争と不正義の戦争とは、戦争の動機やスローガンによって区別されるものではない。敵を倒して人民を救うという、戦争自体の性格において、これが正義の戦争とよばれるのである。戦争によって戦闘員である人民はもちろん、非戦闘員である人民でさえ多少とも被害を受けることは、どんな正義の戦争でも免れることはできない。ここにすでに、正義の戦争であることを否定する客観的な契機がひそんでいる。武器が小銃や手榴弾などから、ガス、細菌兵器などのようなコントロールの困難な、しかも戦闘員が防御用具を持つに反して一般の人民が持たないようなものに進み、さらに殺傷力・破壊力が人類の滅亡をもたらすものになると、戦争をはじめる動機は正義であっても現実の戦争には敵を倒して人民を救うという性格を与えることができない。正義の戦争と不正義の戦争があるという命題はここでもはや妥当性を失ってしまう。もしこの命題を絶対的に妥当するものとして、あらゆる戦争に適用しようと試みるならば、世界核戦争においてはエンゲルスが警告しているようにその反対物に転化し、この中国側の命題は誤謬となり、「ブルジョア平和主義」の誤謬が真理となる

 中国のこの相対的真理を絶対化してあくまでも現実に押しつけようとするやりかたは、トロツキズムの誤謬と結果的において一致しているから、ソ連側が中国をトロツキズムへ転落したものと主張しているのはその意味で正当である。だがフルシチョフやトリアッチにしても、レーニンの真理論を疑おうとはしないから、なぜ中国がこんなに頑強にこの命題を主張するのか、なぜ中国がこんなに頑強に教条主義をすてようとしないのかが理解できない。それで彼らは経験主義的に、現実を正しく見よとそればかりくりかえしている。核兵器は「古い戦争概念を一変した」ではないかとか、「帝国主義が存在するかぎり、植民地主義が存在するかぎり、解放戦争はある」ので、けっして正義の戦争を否定するわけではないとか、いうだけなのである。中国がトロツキズムに転落した論理的な必然性を理解できないから、小ブルジョア的変質によるものだと解釈するだけなのである。

 

 4 レーニンの矛盾論の持つ欠陥

―p.51―

 つぎに、レーニンの理論的誤謬の中でもっとも重要なものの一つである、矛盾についての規定を問題にしなければならない。

 第一次大戦当時スイスに亡命していたレーニンは、帝国主義の時代における観念論者の反動攻勢と闘うために、そして新カント派やマッハ主義との闘争を更にすすめるために、哲学の研究をおこたらなかった、彼は多くのノートをのこしており、一九一四〜一六年に書かれたと推定される断片「弁証法の問題によせて」は彼の弁証法研究のいわば結論とも見るべきものであって、官許マルクス主義はこの文献に大きく依存している。ソビエト科学アカデミア哲学研究所の『哲学小辞典』もいう。

「量においてこそ少ないが、その理論的意義は大きく、この断片で弁証法の問題に関する大労作の結論が与えられ、マルクス主義弁証法の根本命題が解明されている。」

 この断片にのべられている命題を彼らのいうようにそのままうのみにしてよいかどうか、それは間もなく明らかになる。

 われわれはまず、『哲学ノート』のヘーゲル研究の過程で、レーニンが弁証法に対して与えた二つの規定を検討してみよう。どちらもソ連や中国の教科書にしばしば引用されるおなじみの規定であり、最初の規定は毛沢東矛盾論の出発点となっているものである。

「弁証法とは、対立物がいかにして同一でありうるか、またいかにして同一となるか(いかにして同一にかわるか)――いかなる条件のもとで、対立物が相互に転化し、同一となり、――なにゆえに人知はこれらの対立物を、死んだ、凝結したものとしてではなく、生きた、条件的な、可変的な、相互に転化しあうものとして取扱わなければならないか、こういうことに関する学説である。」
「弁証法とは対立物の統一についての学説であると簡単に定義することができる。このようにすれば、弁証法の核心がつかめる。しかし、それは解明と敷衍を要する。」

 はじめの規定は、ヘーゲルの『大論理学』第一篇存在論の第一章の研究において書かれたものである。そこでヘーゲルは、「純有と純無とは同じものである。」とか「有無の両者を自らのうちにふくんでいないある物は、天にも地にもどこにもない。」とかいうような主張を行なっている。エンゲルスは『反デューリング論』において、「すでに単純な力学的な場所の移動ですら、一つの物体が同一の瞬間にある場所にありながら同時に他の場所にあること、すなわち同一の場所にあるとともにそこにないということがなければ、行われえない。」と指摘している。ここでいわれている「同一」は、学生にもいろいろな異った学生があるけれども学生としては同一だ、というような差異に対する同一ではなくて、あくまでも対立物の同一であることに注意しなければならない。ヘーゲルはこの対立物の同一をとりあげながら、スピノザの「すべての規定は否定である。」という命題を指摘して、「この命題は無限の重要性を持っている。」という。幸いにもマルクスが、『経済学批判序説』の中で同じスピノザの命題を指摘しているから、そこでマルクスがどんな論理を問題にしていたか、読んでみることにしよう。

「生産は生産手段の消費である。生産手段は、使用され消耗されて、一部分は(たとえば燃料の場合のように)一般的諸元素にふたたび分解される。同様にそれはまた原料の消費である。原料はその自然的な姿と性状とを維持しない。それはむしろなくなってしまう。だから生産行為そのものは、そのすべての契機において、また消費行為でもある。だがこのことは経済学者たちも認めている。消費と直接に同一なものとしての生産を、生産と直接に一致するものとしての消費を、彼らは生産的消費とよんでいる。生産と消費とのこの同一性は、スピノザの Determinatio est negatio という命題と結局同じである。」
「消費は直接にまた生産でもある。それは、自然において諸要素および化学諸元素の消費が植物の生産であるのと、同じである。たとえば消費の一形態たる食物の摂取において、人間が彼自身の身体を生産することは、明らかである。だがこのことは、何らかのしかたにおいて人間をある方面から生産するところの、他のどの種類についてもいいえられる。〔これは〕消費的生産〔である〕。しかしながら――と経済学はいう――消費と同一なこの生産は、第一の生産によって生産された生産物の破壊から生じる第二の生産である。第一の生産においては生産者が物に化せられ、第二の生産においては彼によって作られた物が人に化せられる。だから、この消費的生産は――それは生産と消費との直接的統一ではあるが――本来の生産とは本質的に異なるものである。」
「だから、生産は直接に消費であり、消費は直接に生産である。各々は直接にその反対物である。だがそれと同時に、両者のあいだには一つの媒介運動が行われる。」

 注意して読めば容易にわかることだが、マルクスあるいはヘーゲルのいう対立物の「同一」というのは、対立した両者がむすびつくことではなくて、一者が同時にその対立物であるという論理構造を、生産が同時に消費でもあるとか、有が同時に無でもあるとかいうありかたを、さすのである。そしてこの対立物の「同一」は、対立する両者のあいだの媒介運動、すなわち両者の媒介的なむすびつきを伴っているのであって、媒介的な統一に対する直接的統一がとりもなおさず「同一」なのである。つまり、「同一」というのは「統一」の特殊な形態をさすのである。

         ┌直接的統一(同一)
  対立物の統一 ┤
         └媒介的統一(不可離)

 これがマルクス主義の弁証法における「統一」と「同一」との関係である(2)。この関係をゆがめて解釈するならば、マルクス主義を修正したことになる。したがって、レーニンのノートのさきの二つの規定も、はじめのそれは「同一」だけをとりあげているゆえ不十分であるが、あとの規定は核心をつかんでいるゆえにこれを中心にすえるべきだということになる。レーニンは、「媒介と同時に直接性をふくんでいないものは、天にも、自然にも、精神にも、どこにも存在しない。」というヘーゲルのことばを抜き書きしていながら、対立物の統一もまた媒介と同時に直接性をふくんでいること、直接性統一こそ「同一」であることの理解にまですすむことができなかった。そのために、彼は対立物の「相互浸透」という概念に到達することができず、エンゲルスの理解に追いつくことができずに終ったのである。

 このレーニンの「同一」の弱点は、「弁証法の問題によせて」における混乱となってあらわれた。彼はまず、矛盾を「対立物の同一性」と規定したが、すぐにこう付け加えている。

おそらく、より正しくいえば『統一』か? もっとも同一性という用語と統一という用語の差異はここで特に本質的なものではない。ある意味では両方とも正しい。」

 つまり、「統一」と「同一」との論理的な関係を正しくつかんでいなかったにしても、ヘーゲル論理学全体に目を通しただけあって、「統一」のほうが正しいのではないかとおぼろげながら感じてはいたわけである。そしてこの曖昧だったことが、つぎのように矛盾の規定に大きな影響をおよぼすことになった。

「対立物の統一(合一、同一性、均衡)は条件付、一時的、過渡的、相対的である。相互に排撃する対立物の闘争は、発展、運動が絶対的であるのと同様に絶対的である。」

 このような、相対性は統一の部分に、絶対性は闘争の部分にという発想は、私が「ふりわけ論」とよぶ形而上学的な思考で、弁証法的思考でも何でもない。レーニンが「合一、同一性、均衡」などを、すべて「統一」の特殊な形態であると区別してつかんでいたならば、これらの形態はいろいろ変化ししたがって相対的であるが、それらが「統一」であることに変りはなく、したがってこの点では絶対的であると理解できたであろう。それでは対立物の闘争はどうであろうか。そこには何ら相対性はないのであろうか。

 まずヘーゲルのいうところを聞こう。

「関係の規定においては矛盾は直接に現われる。上と下、右と左、父と子、その他無限に多くの極めて卑俗な実例は、すべて自己の中に矛盾を蔵している。」

 マルクスはいう。

「すでに見たように、諸商品の交換過程は矛盾した・かつ相互に排除しあう・諸関連をふくんでいる。商品の発展は、これらの矛盾を止揚しはしないが、しかし、これらの矛盾がそれにおいて運動しうるところの形態を創造する。かくの如きは、総じて、現実の諸矛盾がもって自らを解決する方法である。たとえば、ある物体が絶えず他の一物体に落下し、また同じように絶えずその物体から飛び去るということは、一つの矛盾である。楕円は、この矛盾がもって自らを実現するとともに解決するところの、運動諸形態の一つである。」

 矛盾を関係としてとらえた場合、上と下であるとか、右と左であるとかという関係は、直接的な同一性として、上は同時に下であるとか、右は同時に左でもあるとかいうような矛盾として存在している。有限は同時に無限であるとか、有は同時に無でもあるというような、矛盾をとりあげることもできる。これらはたがいに相いれない両面の統一であるが、ここに果して闘争が存在するであろうか。飛ぶ矢が空間の一転に存在すると同時に存在しないという、運動の矛盾をとりあげて、存在する矢と存在しない矢との「闘争」を論じることができるであろうか。マルクスが問題にしている「総じて、現実の諸矛盾がもって自らを解決する方法」は、いわゆる非敵対的矛盾の解決方法であるが、このような解決方法についてはレーニンは何ら考慮を払っていないのである。

 階級的矛盾その他、いわゆる敵対的矛盾にあっては、相いれない両面が闘争している。すなわち対立物の闘争は絶対的である。だが力学的運動にしても有機体としての運動にしても、いわゆる非敵対的矛盾にあっては、相いれない両面が闘争するのではなく、遠心力と求心力との調和や同化と排除との調和など、調和を正しく維持することによって矛盾が存在するのである。したがって、矛盾全体として見るなら、対立物の闘争は相対的なのである。この点でも、レーニンの規定はあやまりだということになる。

 ミーチンその他ソ連の哲学者たちは、レーニンがマルクス主義の矛盾論をこのようにゆがめたことに気づかないばかりか、反対にこれをマルクス=エンゲルスを発展させて新しい段階に高めたものだと思いこみ、礼拝したのであった。彼らはエンゲルスのあげた三大法則の一つである「対立物の相互浸透の法則」を対立物の統一にまで還元してしまったばかりでなく、レーニンが絶対的だというので闘争をもそこにつけ加え、「対立物の統一と闘争の法則」に修正した。そして、レーニンが闘争を加えたことは、帝国主義の時代の階級闘争の激化に照応して弁証法を発展させたものであり、エンゲルスをさらに高めたものであると、まことしやかにコジつけたのであった。

 

 5 毛沢東矛盾論はさらに後退する

―p.56―

 矛盾における闘争は絶対的だというレーニンの規定はスターリンへ、そして毛沢東へと受けつがれた。レーニンは矛盾が普遍的な存在であるとして、つぎのような例をあげている。

「数学では、プラスとマイナス、微分と積分。
 力学では作用と反作用。
 物理学では、陽電気と陰電気。
 化学では、原子の化合と分解。
 社会科学では、階級闘争。」

 そしてこれらの矛盾はすべて闘争的だというわけであるが、スターリンもレーニンの闘争絶対論を受けついでつぎのようにのべている。

「それらの対立物間の闘争、古いものと新しいものとのあいだの闘争、死滅してゆくものと生れ出るものとのあいだの闘争、生命を終りつつあるものと発展しつつあるものとのあいだの闘争が、発展過程の内的内容、量的変化の質的変化への転化の内的内容をなすものである。」

 自然科学の常識を持っている素朴な読者の中には、トランジスタ・ラジオの乾電池や自動車用の蓄電池、あるいは馬蹄形磁石などを思い出して、なるほどブラスとマイナスの二つの極が統一されているなと思う人もあるであろう。しかしつぎの瞬間には、この二つの極がいったいどこで闘争しているのか、二つの極のどちらが古いのかと、頭をひねる人もいるにちがいない。

 毛沢東の『矛盾論』は、レーニンのあげた例をソのまま引用して、つぎにこうのべている。

「戦争における攻守、進退、勝敗はみんな矛盾した現象である。その一方がなくなれば他方もなくなる。」

 戦争は、敵との間に行われる。いうまでもなくこれは敵対的矛盾であり、そこには生命をかけての闘争が展開する。しかし旅行者が旅客機で飛ぶときにも、大阪へ進み大阪へ近づくことは同時に東京から退き東京から遠ざかることであって、これも一つの矛盾である。この矛盾のどこに闘争があるのであろうか。ここで進むと退くのとどちらが新しくどちらが古いのであろうか。レーニンのノートはもちろんであるが、スターリンも毛沢東もソ連の学者たちも、このような問題には触れようとしない。

 毛沢東矛盾論は、対立物の同一性に関してレーニンが与えた弁証法の規定から出発する。それゆえ、レーニンがおぼろげながらも「統一」と「同一」とはちがうのではないかと感じていたような問題は、無視し抹殺しなければならないことになる。すなわち「同一性、統一性、一致性、相互浸透、相互依拠(あるいは依存)、相互連関、もしくは相互作用というこれらのことばは、すべて同じことを意味して」いると、すべてをいっしょくたにしてしまった上で、「同一性」なるものを説明しにかかるのである。

「すべての矛盾する諸側面は、みな、一定の条件によって、不同一性をそなえているので、矛盾とよばれる。しかし、また同一性をもそなえているので、たがいにつながりあっている、レーニンが、弁証法とは『対立物がいかにして同一でありうるのか』を研究することだといったのは、このような状態をさしているのである。どうして同一でありうるのか? たがいに存在の条件をなしているからである。これが同一性のもつ第一の意味である。」

 「たがいに存在の条件をなしている」というのは、一方がなければ、他方もありえないということ、すなわちつながりあっていることにほかならない。毛沢東は、まず同一性をそなえているので、たがいにつながりあっているといい、あとで、どうして同一でありうるのかといえば、たがいにつながりあっているからだという。これはタウトロギーであって、何ら説明になっていない。どうしてこんなことになったかといえば、レーニンが対立物の同一とはほかならぬ直接的統一であるということを明らかにしなかった弱点が、毛沢東においてさらに拡大されてしまい、同一が常識的に差別(不同一)に対する同一として解釈されてしまったからにほかならない。

 弁証法における同一性とは、毛沢東のいうような「ブルジョアジーがなければプロレタリアートがない。プロレタリアートがなければブルジョアジーもない。」というような、「たがいに存在の条件をなしている」むすびつきをさすのではない。これは対立物の不可離性である。マルクスもいうようにこの不可離的な統一の媒介運動が直接的同一性をつくり出すのであって、たとえばプロレタリアートがプロレタリアートとしての立場を維持しながらも、銀行に預金したり株を買ったりして、利子や配当という形態で剰余価値の分配にあずかり、ブルジョアジーとしての萌芽を自分自身に持つことが、プロレタリアートであると同時にブルジョアであるという矛盾を自分自身に負うことが、対立物の直接的統一すなわち同一性なのである。これがさらにすすんで、工場で働くのをやめ、自分の財産を預金や株のかたちで金融資本や産業資本に提供し、利子や配当だけで生活するようになれば、完全に労働者の搾取に生活を依存する小ブルジョアへの転化が完了したわけである。

 毛沢東はつづけていう。

「事柄は、矛盾の双方がたがいに依存しあっているだけに終るのではない。もっと重要な点は、やはり、矛盾している事柄がたがいに転化しあうという点にある。これは、事物の内部にある矛盾の二つの側面が、一定の条件のために、それぞれ自己と反対の側に転化し、自己と対立する側面のしめしている地位に転化してゆくことを意味する。これが矛盾の同一性のもつ第二の意味である。」

 こうして毛沢東は、矛盾の単なる一形態でしかない同一性に、相互転化を押しこむだけでなく、さらに地位の転化をさえ押しこんでしまう。正しい意味での同一性における相互転化は、いまみたようなプロレタリアートがブルジョアジーになったり、あるいは反対に競争の結果苦しくなった小工場の持ち主が自分も大工場へ働きに出かけるというかたちでプロレタリアートとしての萌芽を自分自身に持ち、やがて小工場がつぶれて完全にプロレタリアートへの転化が完了するという、それだけのことである。毛沢東のいう「被支配者であったプロレタリアートが、革命を通じて支配者に転化し、もともと支配者であったブルジョアジーが、被支配者に転化し、たがいに相手が元来しめていた地位にてんかしてゆく」問題は、権力の獲得という、上部構造をめぐる複雑な媒介関係において展開するものであって、正しい意味での同一性における相互転化とは別の問題である。

 正しい意味での同一性を理解するならば、敵との対立における媒介関係が、直接的統一として「敵であると同時に同志でもある」ような人間をつくり出すことも、理解できるわけである。警察や裁判所や諸官庁にいる革命政党の党員は、敵に奉仕しながら革命運動のために働いているという、同一性をそなえている。ブルジョア出版社が『資本論』を出版することは、革命運動にとって大きな利益であると同時に、その出版社に利潤をもたらす意味で資本家にとっての利益でもあるという、同一性をつくり出す。敵かそれとも同志かという、あれかこれかの形而上学で割り切ることはできないということを、現実の対立物の相互浸透が、同一性がわれわれに教えてくれるのである。正しい意味での同一性の無理解は、敵かそれとも同志かという形而上学におちいりやすいこと、同一性の成立を直ちに版対物への転化と解釈しやすいことに注意しなければならない。

 つぎに、レーニンのように矛盾における闘争を絶対的なものだと見るならば、当然に非敵対的矛盾も闘争をふくんでいることになるばかりでなく、非敵対的矛盾を解決することもまた闘争と無関係ではないということになる。こうなると、ポオの『モルグ街の殺人』に出てくるパリーの警視総監G氏のような、"De nier se est, d'expliquer ce qui n'est pas." という人間になってしまって、現実に存在するところの調和は否定し、現実に存在しないところの闘争についてなんとか説明をデッチ上げるということになる。毛沢東は、矛盾の解決方法をすべて闘争の形態だと解釈し、敵対的矛盾と非敵対的矛盾の解決方法のちがいも闘争の形態のちがいだと解釈した。

「矛盾と闘争は普遍的であり、絶対的であるが、矛盾を解決する方法、すなわち闘争の形態は、矛盾の性質によって異ってくる。」

 この毛沢東の発想にもとづいて、中国の哲学の教科書『哲学問答』はつぎのように解説している。

「すべての矛盾の解決は、かならず、矛盾の一方が死滅し、後退し、矛盾のべつの一方が生長し、発展し、あたらしいものがふるいものに変ることである。」
「闘争をつうじてだけ、矛盾を解決することができる。闘争は矛盾を解決するただ一つの道である。闘争を通じないで、矛盾を解決した例を、世界のどこにも見つけることはできない。ただ、矛盾の性質のちがいに応じて、ちがった性質の解決の形態をとるだけである。たとえば、階級社会の階級的矛盾は敵対的な矛盾である。したがって、それは革命闘争の形態をつうじて解決されなければならない。党内の思想的矛盾は敵対的でない矛盾である。したがって、それは党内の思想的矛盾を解決する闘争形態、すなわち、批判と自己批判を通じて解決されるのである。」

 なるほど、それでは電池や磁石などのプラスとマイナス極の対立・矛盾も「かならず」一方の極が「死滅し、後退し」、他方の極が「生長し、発展し」、プラスかマイナスか一方の極だけ残ったときに解決して、ここに「あたらしい」電池や磁石が生れるのであろう。われわれはこんなかたちで、電池や磁石の「矛盾を解決した例を、世界のどこにも見つけることはできない」のである!

 マルクスの矛盾論からは、さきに楕円の例で説かれているように、実現することが同時に解決であるような矛盾が非敵対的矛盾であり、また階級矛盾のように、変革し止揚することが解決であるような矛盾が敵対的矛盾であるという理解が出てくる。ところが中国の哲学の教科書はいう。

「社会現象の中で敵対的な矛盾は搾取階級と被搾取階級との矛盾であり、その基礎は、敵対する階級のあいだでの根本的利害の衝突である。」

 敵対的矛盾イクオール階級矛盾だということになっている。ここから共産党の内部の矛盾は、階級的な敵として対立する立場にない人たちのあいだの矛盾であるゆえに、すべてが非敵対的矛盾、社会主義社会における人民の内部の矛盾は、階級的な敵として対立する立場にない人たちのあいだの矛盾であるがゆえに、すべてが非敵対的矛盾だということになる。だがしかし、階級的な敵とのあいだにだけ敵対的矛盾が存在するわけではない。われわれは、親しい友人であり同志である人たちと、議論をたたかわせている。これは、対立した思想の間の闘争であり、批判と自己批判によって思想の矛盾が止揚されたとき解決するのであるから、敵対的矛盾以外の何ものでもないのである。われわれは議論の相手を「論敵」といい、「論戦」するというが、敵といっても相手を階級的な裏切者あるいは敵階級の手先だなどと考えているわけではない。現実の生活の次元では非敵対的で協力の体制をつくっていながら、同時に思想の次元では大きな立場では一致しながらも当面の戦術などについて「論敵」と「論戦」している。これは現実の生活と思想とがさらには思想の中の特定の部分が、相対的に独立していることを示すものである。「論戦」が沸騰してくると、現象的にはケンカみたいなかたちがあらわれるかも知れない。ちょうど団交で会社側とやり合うような、はげしいことばのやりとりが行われるかも知れない。しかしその結果として現実の生活における友人関係や同志関係まで破れないかぎり、いくらはげしく議論をたたかわせたとしても、敵になってしまったわけではない。こんなことは常識的に明らかである。しかし毛沢東の矛盾論は、のちに「人民内部の矛盾」論に発展して、人民内部ではすべて非敵対的矛盾ということになり、思想の次元での敵対的矛盾も非敵対的矛盾であると、事実上現実の生活と思想との相対的な独立を無視する理論が展開されたのであった。

 

 6 矛盾論の誤謬は粛正の論理を生む

―p.62―

 人間の認識が矛盾をふくんでいることは、すでに『反デューリング論』が強調したところである。人間の認識能力は「素質、使命、可能性、歴史的終局目標から見れば、至上的であり無制限である。個々人の実行とそのつどつどの現実から見れば、至上的でなく制限をもつものである。」(第一篇第九章)すなわち「それ自身としては制限を受けていない人間の認識能力と、まったく外的な制限を受け、限局された認識しかできないところの人間における現実の認識能力ととのあいだの矛盾」(第一篇第一二章)が存在している。現実の世界は時間的・空間的なありかたにおいて、またその多様性において無限であるにもかかわらず、それの認識はつねに有限であり限界づけられている。そしてこの矛盾に基礎づけられて、ディーツゲンやエンゲルスの指摘したように、真理の誤謬への転化ということが生れてくる。法則あるいは命題などは、相対的真理であるから、そこはつねに相対的誤謬へ転化する可能性がふくまれている。この転化を規定する矛盾は、階級的矛盾と直接の関係を持たない。階級が消滅したのちにおいても、人間の認識を規定する本質的な矛盾として、消滅することのない矛盾である。しかし毛沢東はそうはいわない。

「客観的矛盾が、主観の考えに反映して、概念の矛盾した運動を構成し、人びとの考えを発展させ、人びとの思想問題を絶えず解決してゆくのである。党内でも、異った見解の対立や闘争が生れる。これは社会の階級的矛盾および新しいものと古いものとの矛盾が党内に反映したものである。」
「共産党内のただしい思想とまちがった思想との矛盾は、さきにのべたように、階級が存在している場合には、階級的矛盾の党内への反映である。」

 共産党内のまちがった思想も、人間の認識を規定する矛盾とのかかわりあいにおいて、真理から誤謬への移行において、とりあげられなければならないのだが、毛沢東は認識活動をめぐる特殊な矛盾のありかたを無視して思想の矛盾を直接に階級的矛盾にむすびつけ、その「反映」ときめてしまっている。これは、認識活動における「内的矛盾」を無視することであり、思想と現実の生活との相対的な独立を無視して「外的矛盾」をそのまま内部に「反映」させるという、機械的な反映論である。毛沢東自身のことばを借りて彼にさしむけるなら、「わが教条主義者たちのこの問題でのあやまりは、一方では、矛盾の特殊性を研究し、それぞれの事物の特殊な本質を認識しなければならないこと……がわからない点にある。」認識の特殊な本質、特殊な矛盾についてのマルクス主義的な理解を欠いている点にある。それではこの思想の矛盾と階級的矛盾の直結は、実践的にどういう事態をひきおこすであろうか? いうまでもなく、誤謬が直接に階級関係とむすびつけられることになる。同志が悪い条件のもとにおかれ、能力が十分でなかったために、真理を誤謬に転化させてしまったり、実践で失敗してしまったりしたとき、これは敵の思想に感染したものであるとか、敵の手先になって撹乱工作を行ったのであるとか、いずれも「階級的」な外的矛盾との関係で解釈されることになる。こうして、スターリン的な不当な汚名をきせる粛正工作の理論的な根拠となる一方では、真に「階級的」な立場に立つ者は誤謬などありえないという考えかたにもなり、革命の指導者に対する神格化はもちろんのこと、労働者階級ないし人民に対する崇拝が、大衆はつねに正しいのだという大衆追随が、否応なしに出てくるのである。さらに、党内の矛盾にしても社会主義社会の矛盾にしても、その闘争の形態が見たところ敵対的になれば、毛沢東矛盾論にもとづいて非敵対的矛盾が敵対的矛盾に転化したものであり、同志が敵になり人民が敵になったのであるという結論にならざるをえない。

 以上のように、矛盾における闘争は絶対的だというレーニンの行きすぎた規定は敵対的矛盾と非敵対的矛盾との正しい区別を妨げ、思想的矛盾の敵対性を現実の生活における敵対性にもとづくものと解釈させ、ついにソ連や中国におけるスターリン的な粛正の論理に発展したのであった。

 レーニンはその遺言で、スターリンを責任ある地位からおろさないと危険であるといい、スターリン的粛正を抑えるための組織的な配慮を主張したのだが、何ぞはからん、彼が自分のノートに記しておいたあやまりは、スターリン主義をはびこらせるために役立ったわけである。それはレーニンにとって小さな誤謬にすぎなかったが、「小さな誤謬をどこまでも固執し、それにふかい基礎づけをあたえ、それを『究極にまでもってゆく』と、いつでもその誤謬から、とてつもない大きな誤謬がつくり出されるのである!」(『共産主義の「左翼」小児病』)彼もおそらくあの世で苦笑いしていることであろう。

 資本制社会について論じているかぎり、非敵対的矛盾を正しく理解していないマルクス主義者でも、そんなにボロを出さずにすむ。しかし社会主義社会の基礎的な矛盾を論じることになると、この矛盾は非敵対的矛盾であるために、いっぺんにボロが出てしまう。レーニンの矛盾の規定を礼拝して、矛盾はすべて闘争的だと思いこみ、これとくいちがう考えかたをする人間はマルクス主義を修正する者だと確信している官許マルクス主義者が、社会主義社会の基礎的な矛盾を正しく説明できるわけがない。スターリンの死後、一九五五年から五八年にかけて、社会主義国では「社会主義下の矛盾」をめぐる大論争が起ったのも、非敵対的矛盾についての正しい理解が欠けていたためであり、また毛沢東が人民内部の矛盾論をひっさげて参加したにもかかわらずついに説得力のある結論が出ずウヤムヤに終ってしまったのも、論争が公然とレーニンの矛盾の規定をあやまりと認めて是正するところにまで進まなかったからである。社会主義社会の現実のありかたと、レーニンのあやまった規定をなんとか両立させようと、論争の参加者が頭をしぼってそれぞれ無理なコジツケをやったことや、ソポレフのもっともらしい手品が頭かくして尻かくさずの結果に終ったことなどは、いま思い出しても苦笑ものである。

 現在のソ連の教科書は、レーニンの文章に異った解釈を与えて彼は正しかったのだと強弁するかたちをとっている。真理論にしても、対象的真理は物自体だとか客観的真理は感性的世界だとかいうレーニンの規定は引用しないで、真理は認識であると終始主張したかのように適当なところだけを引用してすませている。矛盾における闘争の絶対性についても、矛盾論争のあとではこんな説明を行っている。

「もちろんのことだが、この(レーニンの)規定を単純化して理解してはならない。闘争をことばの直接的の字義どおりの意味にとれば、対立物の闘争はおもに人間社会で行われる。生物界になるともはや、必ずしも直接的な意味での闘争について語ることができない。無機的自然については、この用語を一層字義どおりの意味からはなれて)理解しなければならない。」(『マルクス・レーニン主義の基礎』)

 私はこれを読んだとき、思わずふき出してしまった。対立物の闘争は人間社会ばかりでなく、人間と自然とのあいだにも、自然の脅威との闘争としてくりかえされており、共産主義社会においてもなくなるわけではない。生物界において、それこそ弱肉強食、食うか食われるかの闘争がくりひろげられていることは、ジャングルを舞台にした猛獣映画を見ている子どもにとってさえ常識であろう。ソ連の学者たちは、レーニンの誤謬を訂正するのではなく「闘争」が存在しない場合にも「字義どおりの意味からはなれて」これを「交互作用」として解釈するという、詭弁によってレーニンの規定を保持するとともに、一方では明確な闘争の存在に目をふさごうとするのである。

 それでは、矛盾におけるレーニンの誤謬は、中ソ論争にどんなかかわり合いを持つ結果となったであろうか。運動は矛盾であり、革命運動もまた矛盾である。いうまでもなく敵との間には敵対的矛盾が形成されるのであるが、運動の内部にもいろいろな矛盾が存在している。組織は一つの非敵対的矛盾であって、組織の参加者はこの矛盾を創造し集団力を創造して大きなエネルギーを発揮していく。革命運動について論じるならば、その組織のありかたについて論じなければならない。革命政党のありかたも大衆組織のありかたも、政治路線と組織路線を対応させて、具体的構造を検討していかなければならないが、具体的な組織論はすなわち具体的な矛盾論、しかも具体的な非敵対的矛盾論であるというところに、問題がある。非敵対的矛盾を正しくつかんでいないと体系的な組織理論の持ち合わせもなく、そのために組織路線も歪んだものとなり、ひいては政治路線の混乱さえひきおこす。レーニン以後、私の書いたものを除いてどこの国からも体系的なマルクス主義組織理論が出てこない事実や、革新的組織がいつも組織問題でゴタゴタする事実は、レーニンの矛盾論の誤謬と決して無関係ではない。中ソ論争の当事者であるソ連共産党と中国共産党とのそもそものつながりは、コミンテルンおよびプロフィンテルンという国際組織の中ではじまったのであり、スターリン時代のソ連共産党のありかたは単に国内ばかりでなく国際組織の一環としても再検討する必要がある。