『現代思想』一九六一年六月号掲載
三浦つとむ選集2『レーニン批判の時代』〔勁草書房 1983年6月3日〕所収
*傍点は強調に改めた。
―p.173―
エンゲルスは、弁証法に関して、つぎのように書いている。
「これまでのいっさいの哲学のうちで、なお独立するものとして存続しつづけるものは、思惟とその法則とに関する学――形式論理学と弁証法とである。他のすべてのものは、自然と歴史とに関する実証的科学のなかに解消してしまう。」(1)
「もはやどのような場合でも、肝要なことは、事物の連関を頭脳のなかで案出することではなくて、この連関を自然のなかに見いだすことである。自然と歴史から放逐された哲学にとってなお残されているものは――もし何か残されているとすれば――それはただ純粋思惟の領域だけである。すなわち思惟過程そのものの法則に関する学、論理学と弁証法とである。」(2)
ところが、彼はまたつぎのようにも書いている。
「弁証法とは、自然・人間社会および思惟の一般的な運動=発展法則に関する科学以上のものではない。」(3)
「われわれは、現実の事物を絶対精神のあれこれの段階の模像と解するかわりに、逆に、われわれの頭脳のなかの概念を、ふたたび唯物論的に、現実の事物の模像として把握した。これによって弁証法は、運動の――外部の世界の運動でもあり、人間の思惟の運動でもあるところの一つの運動の――一般的法則に関する学にまで還元されたのである。」(4)
(1) は『反デューリング論』序説第一章に、(3) は同じく第一篇第十三章に出てくる。
(2) (4) はいずれも『フォイエルバッハ論』第四章に出てくる。すなわち、エンゲルスは一の文献のなかに、弁証法について二つのちがった規定をならべて示しているのである。
戦前の旧唯物論研究会で、共産党のフラクションとして活動し、岩波文庫に『自然弁証法』の翻訳を提供した加藤正は、この二つの規定のちがいに目をつけた。そして彼は、エンゲルスが思考法則の科学としての弁証法と一般的運動法則の科学としての弁証法とを「はっきり区別して使っている」と指摘した。当時のマルクス主義者は、ソビエトでも日本でも、(3) (4) の規定を重視して、これをマルクス主義弁証法の規定だとしているのに対して、加藤は (1) (2) の規定を重視した。彼はマルクス主義弁証法は「思考法則の科学」だと主張するのである。
「思考の法則の科学として生きのこる哲学は、思考の唯物論的弁証法的展開を明らかにするばかりでなく、形式論理学から弁証法への止揚のモメントを、また観念論的思考から唯物論的思考への」止揚のモメントを、さらに唯物論的思考から観念論的思考への『疎外』のモメントを明らかにしなければならない。したがって思考法則の科学(弁証法)としての哲学は観念論か唯物論かの問題をじぶんのなかにふくむ。(加藤正「唯物論における哲学の問題」)
加藤は哲学という学問のジャンルが生きのこるものと考えている。(1) (2) の規定から、マルクス主義は思考の法則の科学を弁証法とよぶかのように、またマルクス主義はこれを哲学とよび哲学というジャンルを存続させるかのように、論じている。だが、エンゲルスは、「これまでのいっさいの哲学」「自然と歴史から放逐された哲学」から「なお残されているものは」何かといっている。つまり、これまで哲学として栄えてきた学問のなかで、自然哲学や歴史哲学はすでに崩壊し投げすてられてしまったけれども、それ以外になお存続しつづけるものもあることを指摘しているにすぎない。ここでは他ならぬ哲学の遺産を問題にしているのであって、哲学というジャンルを問題にしているのではない。
このことは『反デューリング論』の旧序文を読めばさらにハッキリする。エンゲルスは、弁証法こそこんにちの自然科学にとってもっとも重要な思惟形式であるといい、理論的自然科学者たちに「弁証法哲学を、その歴史的に現存している諸形態について、もっと詳細に研究」するよう、すすめている。
「これらの形態のうちで、現代の自然科学にとってことに効果的たりうるものは、とくにつぎの二つである。それは第一にギリシャ哲学である。ここでは弁証法的思惟はまだ自然発生的なすがたであらわれる。」「弁証法の第二の形態は、ドイツの自然科学者たちにとってまさにもっともてじかなところにあるもの、すなわちカントからヘーゲルにいたるドイツの古典哲学である。」「観念論的出発点とともに、そのうえに構成された体系もまた、したがってとくにヘーゲルの自然哲学もまた崩壊する。けれどもヘーゲルに対する自然科学からの論駁は、自然科学が彼を一般に正しく理解していたかぎりでは、もっぱらつぎの二つの点にむけられているものである、ということが思い出されなければならない。すなわちそれは、観念論的な出発点と、事実をかえりみないで勝手に体系構成したという点なのである。これらをすべてとりさっても、なお、ヘーゲルの弁証法があとにのこる。」
読者は『フォイエルバッハ論』の正しい題名が『ルドウィヒ・フォイエルバッハとドイツ古典哲学の終結』であって、その第一章に「ヘーゲルにおいて哲学一般は終結する。」といわれていることを、思い出していただきたい。
(1) (2) の文章は、哲学というジャンルがこれからものこって、弁証法が哲学とよばれるのだと主張しているのではなく、これまでの哲学の遺産として形式論理学とヘーゲル弁証法がのこるのだと主張しているにすぎないのである。この文章は、その時代的背景を考えにいれて、理解しなければならない。一八四八年に、ドイツでは哲学の領域で「一つの全般的な転換」がおこっていた。「国民はベルリンの旧ヘーゲル亜流とまでなりさがってしまった。ドイツ古典哲学と決定的に絶縁し」「ヘーゲル亜流とともに弁証法までなげすててしまった」のである。このような条件にあったからこそ、エンゲルスはヘーゲルに正しい評価をあたえ、これまでのいっさいの哲学のうちでヘーゲル弁証法が独立して存続することを、その研究の重要性を、読者にくりかえして強調したのであった。
(1) (2) でとりあげている弁証法は、これまでの哲学の遺産として残されている弁証法であるのに対して、(3) (4) でとりあげている弁証法は、マルクス主義の弁証法である。だからこそ、両者の規定がちがっているのである。加藤は、エンゲルスが二つの規定をハッキリ区別して使っていると指摘しながらも、なぜちがった規定が与えられているかを正しく理解しえなかった。(1) (2) の規定をヘーゲル弁証法だと理解しないで、(1) (2) も (3) (4) も、どちらもマルクス主義の立場での弁証法の規定だと思いこんだ。彼はこの二つの規定をむすびつけて、(1) (2) の規定こそが弁証法とよばれる哲学の規定であり、(3) (4) はこの「下位部門」であると解釈するあやまりへすすんでいった。
―p.176―
一九五六年、ソビエトでスターリン批判がはじまったとき、ソビエトのマルクス主義を輸入販売してきた人たちはいったいどんな反応を示すだろうかと、私はちょっと楽しみにしていた。すると、それまではほとんど無名だった山田宗睦がすすんで自己批判を公にし、精力的に活動をはじめたくらいなもので、スターリンを礼讃していた民科哲学部会の指導的分子は「怪物の存在を否認しうるために、隠れ笠をスッポリと目深にかぶって」すごしてきた。マルクス主義がひからびたとか有効性を持たなくなったとかいう声はますます高くなっている。しかし彼らには、官許マルクス主義の堕落などということは、トロツキストや修正主義者の妄想であるとしか思われないらしい。幸福な人たちではある! ちょうど駝鳥みたいに、彼らは頭をつばさの下にかくしていればそれで周囲のすべてのものが消えてなくなると思っているのではないだろうか。加藤正はソビエト哲学界の指導的な立場にあったミーチンと、それを支持した日本の哲学者たちにたいして批判的な態度をとってきた、旧唯研の異端分子であった。彼の論文には弱点もすくなくないが、今日なお聞くべき主張も多い。彼は一九四九年にこの世を去ったが、彼ののこした論文は山田宗睦その他の哲学者に大きな影響をおよぼしている。山田は、ミーチン=唯研の立場を受けつぐ民科哲学部会の指導的分子に批判的な態度をとっているが、加藤の論文の長所短所を見わけることができず、それらをまるのみにしてしまった。そして、加藤がミーチンを批判したことを、加藤が「スターリン哲学」を批判したかのように解釈してしまった。山田が今日あちらこちらから修正主義者とよばれ、攻撃のまととなっている理論的な根拠の一つは、彼の「精神的生産の法則」の展開が機械的で袋小路をさまよっているばかりでなく、加藤の弱点をそのままとりこみそれらに制約されているところにある。
加藤が (1) (2) の規定をマルクス主義弁証法の規定として重視するあやまりに陥ったのは、(3) (4) の規定を重視するミーチンたちがこの規定を正しく展開できず、あやまった解釈を下したことに大きく影響されている。それゆえ、われわれはまずミーチンたちのあやまりについて検討しなければならない。
ヘーゲルは、周知のように、どこにあるか知らないがとにかく永遠の昔から存在しているという、絶対精神なるものを基礎として、ここからすべての存在を説明していく。絶対精神の発展において、自己を「外化」したものが、われわれの生活しているこの自然である。絶対精神は自然必然性のかたちをとって発展していき、人間の発生において、またもや自己意識のすがたをとる。いいかえるなら、絶対精神は自然においては自然の法則性になり、人間においてはこの法則性の認識になる。人間の頭に、抽象的な認識が生れることは、誰もが認めているけれども、ヘーゲルの立場からすると、ここではじめて生れたわけではなく、すでに自然のなかに現実に存在したものがそのすがたを変えただけのことである。自然の法則性もその認識も、両者は「同じもの」なのである。しかし絶対精神というようなものが現実に存在するわけはない。これは人間の思惟を人間から切りはなして自然の背後へ持っていき、ひとりあるきをさせたものであるが、ヘーゲルはこの絶対精神の持つ法則的な発展を弁証法と名づけているのであるから、人間から切りはなしているとはいえ思惟過程そのものの法則性を弁証法という名のもとにとりあげていることになる。彼は絶対精神のすがたを変えた自然の法則性を「客観的」弁証法と名づけ、この法則性の認識を「主観的」弁証法名づけた。この両者はすがたこそちがっているが、「同じもの」とされているのであるから、同じ名前をつけるのはあたりまえである。どちらも弁証法とよぶのはあたりまえである。
しかしながら、唯物論の立場からすると、この両者はけっして「同じもの」ではない。周知のように唯物論は反映論を主張する。反映とは、客観と主観が照応するということで、客観と主観が「同じもの」だということではない。それゆえ、エンゲルスはつぎのような覚え書きをのこしている。
「いわゆる客観的弁証法は自然全体にわたっておこなわれている。そしていわゆる主観的弁証法すなわち弁証法的思惟は、自然のあらゆる部分をつらぬいている運動の反映にすぎない」(『自然弁証法』、強調は原文のもの)
この文章を、『フォイエルバッハ論』第四章で、ヘーゲル弁証法の唯物論的改作を論じた部分の、「これによって概念弁証法そのものは、現実世界の弁証法の意識された反映にすぎないことになった。」という叙述とならべてみれば、この覚え書きの文章がヘーゲル批判であることは何人にもあきらかになろう。エンゲルスは、客観的弁証法・主観的弁証法ということばを使いながら、これらのどれにも「いわゆる」とつけ加えている。これらはマルクス主義弁証法の術語ではなく、ヘーゲルの術語だからであって、「ヘーゲルのいわゆる」という意味なのである。弁証法的思惟は、絶対精神のすがたを変えたものでもなんでもなく、自然の運動の反映でしかないのだから、「反映にすぎない」といったのである。客観的というところに強調がほどこしてあるのは、エンゲルスがヘーゲルの功績を評価していることを意味している。カントの弁証法は主観的なものにとどまっていたのに反して、ヘーゲルはたとえ曲りなりにも自然自体が弁証法的な性質を持つということをとりあげ、具体的にしたからである。
ところが、加藤正がエンゲルスの文章のなかにのべてある規定はすべてマルクス主義の立場での規定だと思いこんだように、ミーチンその他ソビエトの哲学者もエンゲルスの文章のなかの術語はすべてマルクス主義の術語だと思いこみ、このエンゲルスの覚え書きがヘーゲル批判で術語がヘーゲル弁証法のそれだということを無視したのであった。ミーチンたちのあやまりは、つぎの節で検討するが、つぎの節以下の批判をわかりやすくするために、ここでは、マルクス主義の立場での思惟と弁証法との関係の把握について、すこしのべておくことにしよう。
ヘーゲルが客観的弁証法とよんでいるものを、エンゲルスは自然のあらゆる部分をつらぬいている運動だといっている。そして (3) (4) の弁証法の規定では、弁証法は科学だということになっている。科学はいうまでもなく認識であり、弁証法という科学ではこの認識の対象が運動なのである。運動は、それが弁証法として認識されるという意味において、弁証法的な性質だということはできるが、この運動そのものを弁証法とよぶことはできないもしこの運動そのものを弁証法とよぶならば、それは意識すると否とにかかわらずヘーゲル的偏向といわなければならない。マルクス主義は、ヘーゲルとちがって、自然や社会のなかに弁証法とよばれるものが存在していると主張するのではなく、自然や社会が弁証法的な性質を持ち運動していて、これが弁証法という科学にとらえられると主張するのである。
ところで、人間の思惟もまた運動し発展している。思惟もやはり弁証法的な性質を持っているのだが、外界の世界の弁証法的な性質と思惟の弁証法的な性質とは「同じもの」ではない。これらは「性質的には同一」であるにすぎない。他の例で説明するなら、少年ウラジミール・ウリャーノフ・イリイチと革命家レーニンとは「同じもの」であるが、レーニンの著作の原稿と岩波文庫のレーニンの翻訳とは「同じもの」ではなくて「性質的には同一」であるにすぎない。そして、外部の世界の弁証法的な性質は「外的必然性」のかたちをとって存在し、思惟の弁証法的性質は「人間の頭脳によって意識的に使用されうる」のである。このことをいますこし具体的に説明すると、われわれ人間の思惟は弁証法について知ったトタンに、思惟が弁証法的な性質をおびると解釈してはならないのだが、弁証法と弁証法的性質とを正しく区別できず、これを混同すると、この種のあやまった解釈が出てくるから、注意しなければならない。いま、人間が弁証法についての理解を持てば、それは自分自身の思惟もまた弁証法的性質を持っていることの自覚となり、未知の現実の運動をとらえるにあたっても、この自覚を役立てることができる。エンゲルスは外界の運動法則についていう。
「この法則は、人間の思惟の発展史のなかでもやはり一貫した縦糸を形成しながら、思惟する人間にだんだんと意識されるにいたる。あの同一の法則である。」(『反デューリング論』第二版の序文)
弁証法を理解した人間は自覚的・積極的に自分の思惟をこの法則にしたがって展開し、現実の世界の弁証法的な性質と正しく対応するように努力して、未知の世界への見とおしを立てるのである。これはいわば思考の技術であり、思惟の持っている客観的法則性の意識的な適用なのである。
赤ん坊でも老人でも、ヒトラーでも岸信介でも、デューリングでも小泉信三でも、現実の世界がそしてまた自分たちの思惟が弁証法的な性質を持っているにもかかわらず、そのことを自覚しない。ギリシャ哲学の昔から、万物は流転するというたぐいの、素朴な世界観はあった。「失敗は成功のもと」とか、「嘘から出たまこと」とか、現実の世界や思惟の弁証法的な見かたも、庶民のなかから育ってきた。しかしこれらは部分的であり、感性的なかたちをのこしていて、まだ科学とはいいえなかった。自然・社会・思惟についての科学的な研究がすすみ、個別科学が個々の分野の特殊な法則性をとらえていくなかで、これらの特殊な法則性をつらぬく一般的な法則性についても次第に自覚されてくる。いわば、科学の発展に強いられて、世界全体を総括的にとりあげる哲学者の理論のなかに、この一般的な法則性の理論がかたちづくられていき、ヘーゲルにおいて逆立ちしていたものがマルクス=エンゲルスによって唯物論的につくりかえられたわけである。
ところで、思惟が弁証法的性質を持っているということは、どのような思惟にも共通するのであるから、弁証法とよばれる科学も思惟の一形態である以上それ自体やはり弁証法的な性質を持っている。毛沢東矛盾論やソビエトの哲学教科書で弁証法を学習した人たちは、こんなことをいわれると目をパチクリさせるかも知れない。この規定だけを見ると、同語反復や詭弁にうけとられるであろうが、すじ道を立てて考えてみれば、すぐ納得できることである。真理が一定の条件において誤謬に転化することは、ディーツゲンもエンゲルスもレーニンも指摘している。これが思惟の弁証法的な性質の一つであることは、マルクス主義者にとってもはや常識である。これが納得できれば、あとは何でもない。真理の誤謬への転化を、その特殊な形態についてとりあげれば、科学の反科学あるいは宗教への転化ということがあり、さらに科学の一部門としての弁証法の反弁証法への転化ということがある。この転化も思惟の弁証法的な性質の一つであることに変りはない。してみれば、弁証法は弁証法的な性質を持っているといってなんらさしつかえないことになる。これは個人の思惟についての問題であるが、弁証法の歴史的な発展という問題について考えてみても、ギリシャの素朴な唯物論的弁証法からヘーゲルの観念論的弁証法へ、さらにマルクス=エンゲルスの唯物論的弁証法へと、否定の否定というかたちをとって発展している。すなわち、弁証法の歴史もまた、弁証法的な性質を持っていることが、すでに実証されているわけである。
簡単にいうなら、現実の世界の弁証法的な性質は、その反映である思惟にも、法則性の認識である個別科学にも、さらには弁証法とよばれる科学にも、どこまでもつきまとってきて、いずれも「性質的には同一」であるというだけのことである。またこれを論理的に説明するならば、認識の対象の持っている弁証法的な性質から、その反映としての弁証法とよばれる科学が媒介されてくるが、この弁証法自体が直接に弁証法的な性質をもそなえているのである。弁証法的な性質と弁証法とは認識の対象とその反映として対立しているにもかかわらず、直接的な同一性もまた成立するのである。これは、消費が同時に生産でもあり、販売が同時に購買でもあるような関係においてすでにおなじみになっている。対立物の同一性(毛沢東のいう対立物の同一性とは異る)の一例にほかならない。
―p.182―
ミーチンはデボーリン批判の立役者であるが、彼はこの活動を通じてソビエト哲学の発展を阻止する役割を演じたと、山田宗睦は主張している。だがミーチンのマイナス面は、山田の考えているよりもはるかに大きく深刻である。その最大なものは、レーニンの『哲学ノート』を盲目的に礼拝して、哲学におけるレーニン的段階なるものをマルクス=エンゲルスよりも前進したヨリ高い段階だと主張したことである。またミーチンは、前にとりあげたエンゲルスの覚え書きから、「いわゆる」のことばを無視して、客観的弁証法・主観的弁証法という術語をとり出し、これらのヘーゲル弁証法の術語をマルクス主義弁証法に持ちこんだのであった。このような態度は、ミーチンその他ソビエト哲学者たちのヘーゲル研究の水準を暗示している。ヘーゲルの『哲学史』あたりをちょっとめくってみるだけでも、これらがヘーゲル弁証法の術語であることはすぐわかるのであって、これらの術語をマルクス主義弁証法に持ちこめばヘーゲル的修正におちこむことも、『フォイエルバッハ論』を正しく理解していさえすればすぐ気のつくことである。しかしミーチンたちのこのヘーゲル的修正は、ソビエトでも批判を受けず、日本にも忠実に移植されて、旧唯物論研究会の定説となった。これは私がミーチン=唯研的偏向とよぶものの一部をなしている。
永田広志の『唯物弁証法講話』はいう。「一般に弁証法というときには、客観世界と人間の思惟との運動の一般法則としての弁証法をも、こういう意味の弁証法に関する理論をも指す。」 つまり、取扱われる対象も弁証法とよばれ、この弁証法に関する理論も同じく弁証法とよばれるというのである。これは一九三五年に書かれたが、三七年の「認識論としての弁証法の若干の問題」という論文では、「主観的弁証法がその実質、内容において客観的弁証法と同一であり、その反映であるという唯物論的原理」とある。この弁証法的な性質と弁証法との混同は、戦後に高橋庄治の書いた『人民の哲学』にうけつがれている。「思惟に反映された弁証法は、われわれに、理解され、認識された弁証法であって、それは、内容からいえば、意識の外の、客観的実在の弁証法と同一のものであります。」「われわれは、積極的に能動的に、せい一ぱいに、自分の思惟活動を働らかせて、存在のありのままのすがたを追跡してゆかなければならないのです。そのためにわれわれは、どうしなければならないでしょうか。それは、世界そのものの動きかたと、自分の思惟の動きかたとを、根本的に一致させながら見てゆくよりほかはありません。そのばあいの思惟の動きかたが、思惟の弁証法であります。」 運動が根本的に一致するという認識そのものを弁証法だと説明するのではなく、この認識によって意識的に動かされる思惟の弁証法的な性質そのものを「思惟の弁証法」とよんでいる。
ソビエトでもミーチン的偏向はしっかりと根を下している。スターリン批判の直前に出た、アレクサンドロフの『弁証法的唯物論』はいう。「自然ならびに社会のうちに弁証法を見つけだし、人間の意識における弁証法の模写を科学的に説明して、マルクスとエンゲルスははじめてその諸法則の普遍的な性格を確立した。」 さらにもっとも新しい教程として、共産党と合同出版社から翻訳の出たクーシネン監修の『マルクス=レーニン主義の基礎』の第一分冊は……いや、この本はいま各地の書店にならんでいるから、何とのべているかは読者にしらべてもらうことにしよう。とにかく、デボーリンがヘーゲル主義へ転落したと大声で叱りとばしたミーチン自身、こういうかたちで唯物論的弁証法をヘーゲル的に修正し、しかもこの偏向がそれから三十年もたった今日いまなおまったくじかくされていないというおどろくべき事実に、読者の注意をうながしたいのである。共産党の機関誌『前衛』は、私の理論に「堕落した哲学」というレッテルをはったが、このレッテルはこれらソビエトの哲学者たちにつつしんでご転送申しあげることにしよう。
カタギにゃ弱いがヤクザにゃ強いというのは東映時代劇の旅がらすだが、論理にゃヨワいがことばにゃツヨく、概念のないところにもことばがやってくるというのが、いまのマルクス主義哲学者である。なかでもレーニンののこしたことばは、絶対に強力である。私が以上のような批判をつきつけても、レーニンの『哲学ノート』に何とあるか、「事物の弁証法は理念の弁証法をつくり出すが、その逆ではない。」と書いてあるではないか、レーニンもチャンと事物の弁証法という考えかたをしているではないか、と反駁してくるかも知れない。しかし私は、レーニンを絶対化して盲目的に礼拝しはしない。哲学者に向って、レーニンを礼拝する前にレーニンのヘーゲル研究がヘーゲルにひきずられているのではないか、彼自身では正しいつもりでもふみはずしてはいないかと、疑ってみたかと反問するであろう。ヘーゲルをそのままひっくりかえしても唯物論的弁証法にはならないよ、といいたいところであるが、なにしろ昔からにくまれ口ばかりきいているし、まして『哲学ノート』に疑惑をいだくような大それた兇悪な人間のいうことには、耳をふさぐかも知れない。目には目を、歯には歯をというが、権威には権威をというかたちでひとつエンゲルスのうしろにかくれてみよう。
「思惟と実在との同一性から何らかの思惟の産物の実在性を証明しようとすること、これはまさにかのヘーゲルのばかげきった熱病やみの幻覚の一つであった。」(『反デューリング論』第一篇第四章)
―p.185―
ここで話をちょっと前に戻そう。弁証法についてのミーチン的な解釈は、多くの哲学者たちを盲従させ、定説として世界的に通用させたとはいえ、旧唯研のメンバーすべてを納得させることはできなかった。そりゃそうでしょう。弁証法は科学だと、エンゲルスがチャンと規定している。それなのに、客観的弁証法というヘーゲルの術語をもちこみ、弁証法そのものが客観的に実在するとミーチンがいうのだから、それでは客観的な実在を科学と名づけていいのかい、原物も模写とよんでいいのかいと、尻をまくる人間だって一人や二人出てきていいはずである。加藤正は「ミーチンおよびその亜流」に反対し、「意識の過程や法則と客観的実在の過程や法則は別だということ」を主張した。これは、ミーチンたちが弁証法的な性質と弁証法を混同したように、思惟を実在と直結し、両者の過程を機械的に同一視する傾向におちいっていたからである。しかし加藤は、認識における矛盾を十分にたぐっていくだけの能力を持合わせていなかったように思われる。ミーチンたちの機械的な解釈に反対したのはよかったが、加藤自身は両者の過程が別だということを強調しすぎて、主観主義へとつっ走ってしまった。前に引用した同じ論文で、彼はこんなことを主張している。
「否定の否定というような弁証法の一般法則は……現実の関係を何もいいあらわしてはいないのだ。従って後者の中に弁証法の一般法則を見るというのは、事実は思考概念に把握された現実の像の中に、思考が自分の姿、自分自身の展開法則を見ているにすぎないのである。」
これを読むと、加藤は弁証法の法則が現実の関係を反映していることを否定しているかのように、弁証法の法則は思惟の展開法則にすぎないものだと主張しているように、感じられると思う。この考えかたが、エンゲルスの (1) (2) の規定にもとづいて展開されているのはいうまでもないが、なぜ「現実の関係を何もいいあらわしてはいない」などと反映論を否定するように受けとられることばをならべたのか、その理由がわからない読者もすくなくないだろうと思う。これは、現実の関係がポコンとそのまま弁証法の法則として反映するのだという、ミーチン=唯研的偏向への批判から出てきたものであって、この問題について正しく理解するには、すこし遠まわりして、自然科学の法則と現実の必然的な関係つまり法則的性質とがどうなっているかということから、考えてみる必要がある。加藤はこのことの反省が不十分で、エンゲルスの (1) (2) の規定にひきずられたものと思われる。
「人間は死ぬ」と自然科学は主張する。この法則でいう「人間」は、われわれが自動車自己で重傷をおった運転手を見て、「この人間は死ぬぞ」というときの「人間」とはちがっている。法則でいう「人間」は、個々の存在そのものをさすのではなく、「人間」とよぶことのできる存在をすべてふくんだものであって、これを範疇とよんでいる。具体的にいえば、範疇としてとりあげたときの人間は、現実に実在している生きた人間ばかりでなく、すでにこの世を去った人間や、これから生れてくるであろう人間を、すべてふくんでいるのである。範疇としての人間は、現実に実在している個々の生きた人間についての認識を土台にして成立するのであるから、この意味で現実の反映であるにはちがいないが、だからといって範疇と実在とを機械的に直結し、この範疇としての人間がそのまま直接に対応するかたちで現実にポコンと実在しているなどと考えるなら、死んだ人間やまだ生れてこない人間まで現実にチャンと実在していることになってしまう。それこそ、ばかげきった熱病やみの幻覚である。範疇としての人間は、抽象の産物として思惟の世界にしか存在しない。新興宗教の『生長の家』の教祖谷口雅春は、人間は死んでも死なぬといい、すでに世を去った人間やこれから生れてくるであろう人間も、現実にいきている人間と同じく「理念としての人間」で、やはりこの世界のなかに生きているのだと主張している。これもヘーゲルと同じように、思惟の産物をそのまま実在すると主張するものである。
すくなくない人間が思惟の産物としてのオバケや神などを信じている。これら思惟の産物が実在していると信じている。もちろん唯物論者は、オバケや神などが実在していると信じてはいない。これらはばかげきった熱病やみの幻覚だと笑うであろう。ところが、同じく思惟の産物である範疇が、外界に実在すると主張する唯物論者があるのだし、しかもこれをマルクス主義だと称しているのである! ミーチンの忠実な弟子であった永田広志の『唯物弁証法講話』は「認識の諸範疇は外界の諸範疇の反映」だとのべてある。反映といいさえすれば唯物論だということにはならない。オバケの認識はオバケの反映だとか、神の認識は外界の神の反映だとか主張したところで、唯物論でないことはもちろんである。このことは、俗流唯物論が観念論へ通じていることを示している。であるからこそ、デューリングが観念論へふみはずして、エンゲルスにきびしく批判されたのではなかったか。ミーチンたちや永田広志も、実はデューリングのあるいたとまったく同じ道をあるいているのである。
範疇とよばれる存在は、人間の思惟の世界にしかありえない。これは外界の直接の反映ではない。だがこのことは、範疇が「現実を何もいいあらわしていない」とか、範疇について論ずることは「思考自身の姿を見ているにすぎない」とかいうことを意味しない。そこには媒介がある。範疇としての人間が、現実の個々の人間がそなえているところの一般的な性質から抽象され媒介されたことを否定するのではなく、直接性と媒介性との対立物の統一において思惟をあつかうことが、思惟を弁証法的に理解することである。同じことが法則についてもいえる。人間は死ぬという自然科学の法則は、あらゆる人間に通じる必然性をとりあげているのであるから、現に生きているフルシチョフや毛沢東や三浦つとむや池田勇人はもちろんのこと、まだ生れていない未来の世界の人間たちの運命も、すべてふくんでいるわけである。この意味での必然性は思惟の世界にしか存在しない。けれどもこの法則は、現実の個々の人間が持っているところの必然性、すなわち法則的な性質から、抽象され媒介されたことを否定するわけにはいかない。これを否定するならば、それは唯物論ではない。自然科学においても、法則とよばれる認識と、現実の法則的な性質とは、直接に一致するのではなく、媒介関係において成立したものである。
弁証法とよばれる科学の法則も、論理的にはこれとまったく同一である。ただ、その対象に思惟がふくまれているために、そこから混乱あるいは逸脱がおこりやすいのである。
―p.188―
以上の説明から、弁証法は思惟の世界に存在するのであって現実の世界には存在しないのだという主張にも、一面の真理があることが理解されると思う。この一面の真理を度はずれに拡大して、現実からの媒介関係を否定するならば、それは主観主義であり観念論の道へふみ出すものであるが、現実からの媒介関係を正しくとりあげているならば、それはマルクス主義を修正するものでも観念論でもなく、これこそマルクス主義なのである。このような主張を頭から否定するのは、ミーチン=唯研的偏向におちいっている哲学者だけである。彼らは、弁証法を思惟の世界に存在するというだけでなく、これと直接に対応するようなものが、「客観的」弁証法と名づけるようなものが、現実にポコンと実在しているかのように主張し、これこそマルクス主義であってばかげきった熱病やみの幻覚ではないと信じ切っているのである。
加藤正は否定の否定の法則を例にとったから、私もそれにならって、具体的に説明しよう。マルクス=エンゲルスは否定の否定の法則に関して、原始共産制から私有財産制へ、さらに未来の共産制へという、社会の発展を問題にした。否定の否定の法則には、この社会における発展における否定の否定という性質もふくまれているわけであるが、マルクス=エンゲルスの生きていた当時はもちろん、今日でもまだ共産制社会は現実化していない。まだ実現していない関係を「反映」ということばで唯物論らしく見せかけながら直接に対応させようとするのはあやまりである。加藤がこの直接の対応の主張に反対したのは正当であると言わなければならない。いまひとつ、量質転化の法則をとってみよう。デューリングがこの法則をどうとらえていたか、それに対してマルクスはどう理解していたか。
「読者は、デューリング氏が、マルクスの実際いったこととは反対のことを、マルクスになすりつけているそのやりかたの高級で上品な流儀におどろくがよい。マルクスは言っている。ある価値額は、それが事情によってことなるが、それぞれ個々の場合には一定しているある最低量にたっした場合にはじめて、資本に転化されうるという事実――この事実は、ヘーゲルの法則の正しさの一つの証拠である、と。デューリング氏はマルクスにこう言わせている。ヘーゲルの法則にしたがえば、量は質に転化するのであるから、『それゆえに』『ある前貸金は、それがある一定の限界にたっすると……資本になる。』と。だから、これは正反対のことなのである。」(『反デューリング論』第一篇第十二章、強調は原文)
デューリングは、マルクスのことばを正しく理解していながら、故意にゆがめて攻撃したわけではない。デューリング自身あやまった法則観を持っていて、その目でマルクスを解釈してしまったのである。彼は、弁証法の法則そのものがまず存在して、そこから経済における具体的な量質転化が展開するかのように解釈した。ミーチンや永田広志や高橋庄治やアレクサンドロフは、「客観的」弁証法を主張する。これは、弁証法の法則そのものが客観的にまず存在することを主張するのであるから、デューリングと同じように、これらの法則が実在するから「それゆえに」弁証法的な発展が展開していくのだと説明しなければならなくなる。マルクスの立場はエンゲルスもいうように、これと正反対である。弁証法を科学と考え、認識として理解し、現実の経済の量質転化の運動をこの認識の「正しさの一つの証拠」だと主張するのである。エンゲルスも「自然は弁証法の検証となるものである。」とのべている。ミーチンたちはデューリングのあるいたのと同じ道をあるいているという私の指摘は、ここでも証明されている。
それでは、ヘーゲルの客観的弁証法という考えかたが、どのようにしてマルクス=エンゲルスによって克服されたか、この弁証法の発展に自然科学の進歩はどんな役割を演じたか、エンゲルスにきいてみよう。
「哲学者たちは、デカルトからヘーゲル、ホッブスからフォイエルバッハまでのこの長い時期にわたって、けっしてかれらが信じているように、ただ純粋な思惟の力のみによって駆り立てられていたのではない。かえってその反対に、かれらを駆り立てていたものは、特に自然科学と産業との絶えずその速度をまして奔進していった 力強い進歩であった。唯物論者たちの場合は、このことはすでに表面にあらわれていたが、もろもろの観念論的体系もまた、ますます唯物論的内容でみたされるにいたり、そして精神と物質との対立を汎神論的に和解させようとも努めた。そして結局ヘーゲルの体系は、その方法と内容において、観念論的に頭で逆立ちさせられた一つの唯物論を表現するものにほかならない。」(『フォイエルバッハ論』)
「純粋思惟の領域」で論理を扱っている哲学者たちにしても、自然科学の進歩のなかでつぎつぎと示される、自然の論理構造を無視することはできない。とりわけヘーゲルは、「ただに創造的な天才であっただけでなく、百科全書的に博学な人でもあったので、そのいたるところで画期的な仕事をし」「その発展を貫通する糸筋を発見し指摘することにつとめて」自然科学者をおいこしさえした。けれどもヘーゲルは唯物論者ではない。自然の論理構造は、絶対精神がそのすがたを変えたものと解釈していた。論理的な範疇は、人間の思惟においてはじめて成立するのではなく、自然以前に、絶対精神において存在していることになっている。これも、かたちこそちがうが、ミーチン=唯研的偏向と同じく範疇そのものの客観的な存在を説くものであり、デューリングとも一致している。
「デューリング氏の場合には、最初に一般的な世界図式論があるが、ヘーゲルの場合には、これは論理学とよばれている。それから、どちらの場合にも、自然へのこの図式ないし論理的範疇の適用すなわち自然哲学があり、そして最後に、人間界へのそれの適用があり、これをヘーゲルは精神哲学とよんでいる。」(『反デューリング論』第一篇第三章)
ヘーゲル論理学は、唯物論の立場に立つものではなく、絶対精神の自己発展の論理構造を展開するものであるが、この論理学の形成には自然科学の進歩や哲学者としての精神現象の研究や思惟過程の研究が参与している。いうまでもなく、自然をうみ出すところの絶対精神などという考えかたは、観念論的な妄想としてすてられなければならないけれども、「ヘーゲルにあってはその弁証法は絶対精神の自己発展なのである」から、絶対精神を否定するとそれに伴って弁証法についての考えかたも異ってくる。抽象的な論理的範疇そのものが自然以前に存在して、自然の論理に、さらに人間の精神の論理に発展するという考えかたをすてて、自然(社会をふくめて)および人間の思惟の論理構造から論理的範疇が生れるのだというかたちに、ヘーゲルの考えかたを転倒すれば、、それに伴って法則についての考えかたも転倒し、弁証法についての考えかたも転倒してしまう。これまでは自然の背後にあって全世界をうみ出してきた論理的範疇が、人間の頭のなかの思惟の世界における存在に還元されるように、弁証法も「運動の……一般的法則に関する学にまで還元され」ることになる。
いま一度別の角度から言えば、自然科学は人間の頭脳のはたらきとして精神の存在を認めるだけで、人間の頭脳以外に、この世界を生み出す絶対精神などというものを認めはしない。人間の精神のありかたを度はずれに拡大し、自然の背後にまで還元するのは、とりもなおさず観念論の立場である。弁証法も、精神の世界に存在するにはちがいないが、ヘーゲルの考えるようにまず絶対精神のありかたとして自然の背後に存在し、これが「現存している全世界の本来の生きた霊魂」として自然のなかをつらぬいてくるのではなく、全世界の運動の反映にまで還元して、人間の脳に成立する学問のなまえにするのが唯物論の立場である。
―p.191―
エンゲルスの (3) (4) の規定がマルクス主義の弁証法だとすれば、弁証法はひとつの論理学であるということになる。これに関して、エンゲルスののこしたつぎの覚え書きはきわめて重要な意味をもっている。
「弁証法の諸法則はその要点においてつぎの三つの法則に帰着する
量から質への、またその逆の転化の法則。
対立物の相互浸透の法則。
否定の否定の法則。
この三法則はすべて、ヘーゲルによって、彼の観念論的なしかたで、単なる思惟法則として、展開された。」(エンゲルス『自然弁証法』)
ここには三つの問題がある。その第一は、弁証法の「三つの法則」のうち、対立物の相互浸透の法則を対立物の統一の法則にスリかえてはならぬということである。レーニンの『哲学ノート』には、対立物の統一ということばは出てくるが、対立物の相互浸透ということばは出てこない。レーニンはエンゲルスよりもヨリ高い段階にすすんだはずであると考えたミーチンは、エンゲルスの対立物の相互浸透の法則を対立物の統一(と闘争)の法則にスリかえた。対立物の統一というのは、レーニンもいうように弁証法の「核心」であって、「三つの法則」全体をつらぬく性格であるから、対立物の相互浸透の法則と同じ平面において問題にすべきものではない。このスリかえによるマルクス主義弁証法の歪曲も、ミーチン=唯研的偏向の一部であり、これまた現在の官許マルクス主義の定説として横行闊歩している。
その第二は、加藤正のあやまりがこの文献でも証明されているということである。弁証法を「単なる思惟法則として」展開したのは、ほかならぬヘーゲルであった。(1) (2) のエンゲルスの弁証法の規定は、マルクス主義弁証法の規定でなくヘーゲル弁証法の規定だという私の意見を、この文献は裏書しているものといわねばならない。
その第三は、弁証法が運動の一般的法則に関する学問だと言ったところで、何も三つの法則だけが弁証法ではなく、この三つは「その要点」であるにすぎないことである。数学の公理がいくつかの命題に帰着するとか、古典力学がいくつかの公式に帰着するとかという理由で、これだけが数学であるとか古典力学であるとか言う、科学者はいない。弁証法も同じことである。数学や古典力学が、現実の諸事物の持つ諸関係をとりあげて、体系化されなければならないように、弁証法も現実の諸事物の持つ論理構造をとりあげて、体系化されることが要求されている。すなわち、弁証法は体系的な論理学に仕上げられなければならない。
ヘーゲルの「論理学」の形成に、自然科学の進歩が寄与したことは前にのべたが、マルクス主義弁証法を論理学として仕上げる場合にも、自然科学の成果を吸収することが当然に問題になってくる。これは、自然科学の個々の法則をきりはなしてとりあげて、それをすでに知られている弁証法の法則とつきあわせ、自然科学の特殊な法則をつらぬく一般的な法則を指摘する仕事ではない。自然科学の発展が物質の論理構造をさらにつっこんであきらかにしていき、多面的な構造へとすすんでいくときに、これを全面的に検討し一般的な構造をつかんで論理学の体系に正しく吸収することである。このような態度は、観念論の成果を吸収する場合でも同様であって、ヘーゲル弁証法の自己疎外の論理はフォイエルバッハにおいて唯物論的に改作されて宗教批判の武器となり、さらにマルクスによって法批判から政治批判の武器として使われ、経済学の建設にとって重要な役割を果した。この自己疎外の論理もまた、弁証法とよばれる論理学の一部分を構成するのである。
自然科学の進歩から弁証法の発展への吸収作業には、二つのちがった側面が存在している。その第一の側面は、いまとりあげたように、現実の世界の事物の持っている弁証法的な論理構造が、個別科学を媒介してとり出されてくることである。そして第二の側面は、これら個別科学の対象となった現実の世界の事物からではなく、個別科学そのものの発展、すなわち科学とよばれる認識そのものの発展が、それ自身弁証法的な論理構造を持っていて、ここから直接に反省され、とり出されてくることである。すなわち、科学そのものの歴史が論理的であるという、歴史と論理の統一の自覚において、一般的な発展法則が生れてくるのである。
ミーチン=唯研的な自然弁証法の説明では、水が一定の温度で氷に転化するとか、光が粒子と波動の統一であるとか、部分的な論理や個々の法則をとりあげ、彼らのいわゆる「客観的」弁証法をあれこれとならべていくのであって、エンゲルスが深い注意をはらった自然科学の歴史の弁証法的な性質についてはほとんど問題にしていない。加藤正は『自然弁証法』の訳者だけに、自然科学の歴史の弁証法的な性質、ひいては思惟の発展の弁証法的性質から弁証法をとりあげることを重視した。これは彼のすぐれた点である。だが惜しいことには、現実の世界の弁証法との直接の対応を主張するミーチン=唯研的偏向に反対しながらも、彼自身また弁証法を直接の対応でしかとりあげようとしなかった。すなわち、弁証法と直接の対応におかれているものとして、思惟の世界をとりあげ、科学の体系的な思考の展開と、それを見ている弁証法とよばれる思考との直接の対応関係を指摘した。「思考概念に把握された現実の像の中に、思考が自分自身の姿、自分自身の展開法則を見ているにすぎない」と主張したゆえんである。エンゲルスの (1) (2) の規定をマルクス主義弁証法の規定だと思いこんだ、加藤のあやまりがこの一面的な主張のささえになっていた。
さて、弁証法とは何かという質問に答えて、弁証法はひとつの論理学であるといえば、マルクス主義哲学者と名のる人たちは、レーニンが『哲学ノート』で「論理学、弁証法、認識論(三つのことばは必要でない、それらは同一のものだ)」と書きのこしていることを、どう理解しているのかと問いかえしてくるかも知れない。旧唯研の機関誌『唯物論研究』を読めばすぐわかるように、このレーニンの命題に対しては、各人各説、さまざまな解釈がなされているのである。しかも、この問題はマルクス主義にとってきわめて重要なものと考えられ、哲学者たちは何としてでもこれを正しく理解しなければならないと、さわぎ立てていた。
「認識論としての弁証法、又は換言すれば唯物論における論理学、弁証法、認識論の同一性に関する命題がマルクス主義哲学におけるレーニン的段階にとって本質的なものであることは今や周知である。ところで『弁証法は正にマルクス主義の認識論である』とか、論理学、弁証法、認識論なる『三つのことばは必要でない、それらは同一のものだ』とかいう命題は如何に理解さるべきか、かかる同一性が云々されるとき、三つのものの関係は如何に理解さるべきか、等々については吾々の間で未だ必ずしも意見の一致がなく、また或る程度の偏向や混乱も始末されていない。」(永田広志『認識論としての弁証法の若干の問題』)
この混乱は、日本ばかりでなく、ソビエトの哲学者のあいだでも起っていた。というのは、折しも客観的弁証法・主観的弁証法というヘーゲル弁証法の術語をマルクス主義に持ちこんできたために、ここからも混乱が拡大されたのである。弁証法を科学と理解すれば、論理学も認識論も同じ科学であるから、直観的に抵抗はあっても、同じものだというレーニンの命題はもっともらしくきこえる。しかし客観的弁証法は外界の必然性そのものである。これが論理学や認識論と同一だといわれても、ちょっと納得できかねる。けれども何とかして解釈を与えなければならない。永田広志は言う。
「哲学的科学としての弁証法は主観的弁証法であり、かかるものとしてはそれは認識論、論理学と同一である。しかしこのような主張は、主観的弁証法がその実質、内容において客観的弁証法と同一であり、その反映であるという唯物論的原理を基礎に持たないならば、容易に外部世界から切り離された観念論的弁証法を結果する。吾々が認識論としての弁証法という命題は唯物論的模写論との連関において把握されなければならないと強調する理由は正にここにある。他方、弁証法は根源的には客観的弁証法であるが故に論理学、認識論と同一でないというときも、主観的弁証法が客観的弁証法の反映として、それと内容上同一であり、そういう意味の主観的弁証法としての哲学の内容が論理学および認識論の内容と相覆うものだ、ということが理解されていない。」「弁証法、論理学、認識論をその同一性において捉えることに重点を置かずに、その差別を見出すことに没頭したり、又は弁証法的に理解された同一性には差別が必ず内在するという見地の下にこの三者の同一性と同時にその差別を見出そうとする試みが、その動機の如何にかかわらず、この三つのものの間に内容上の区別を設けそれを互いに独立な科学と看做すブルジョア哲学への譲歩であることは明白である。『三つの言葉』は弁証法的唯物論における三つの内容を異にする部分、内容上に別箇な側面をいい表わしたものでなく、全く同一のものを指しており、それはただ従来それらの言葉に含まれていた意味内容の相違の故に、同一のもののさまざまな特徴、側面を示す上に役立つ位のものである。」(同上)
レーニンは同一だと主張している、そしてレーニンの哲学がプロレタリアートの哲学であることは明白である、しかるがゆえに、差別を見出そうとすることはブルジョア哲学へ近づくことである、――これが永田の基本的な態度なのである。
いま、レーニンを一応タナ上げして、認識論とはどういう科学であるべきかを考えてみよう。これは人間の認識のありかたを具体的に解明する個別化学として展開されてしかるべきである。ところで、弁証法という科学も、やはり認識の一つのありかたであるから、これも認識論のなかで問題にされなければならない。弁証法が認識の一形態である以上、認識論の一部は弁証法にさかなければならない。だがそれと同時に、認識そのものは弁証法的な性質を持っているから、認識論は全面的にこの弁証法的な性質を問題にしなければならない。こうして、二つの側面から弁証法の問題が認識論のなかに入りこんでくる。マルクス主義者が、古い形而上学的な認識論を克服して、弁証法的認識論を建設し、認識をその運動と発展においてとり扱う具体的な認識論を提供しなければならないという点については、誰も異議ないはずである。もちろん、この認識論を展開すれば、認識をつらぬいている必然性、認識の持つ論理構造も浮きぼりになるであろうが、この論理構造を抽象的にとりあげるだけでは認識論の役目は果せない。真理が誤謬に転化し、科学が反科学や宗教に転化することを具体的に論じながら、弁証法が反弁証法に転化することもやはり問題になっていいはずである。この点で、認識論は認識の弁証法的な性質を問題にし弁証法そのものを問題にするが、認識論と弁証法とは同一のものではない。
では、論理学とはどういう科学であろうか。いうまでもなく事物の論理構造を解明するひとつの個別科学である。論理学においては事物が論理的範疇としてとらえられ、展開されていくのであるから、具体的な認識の発展をとらえていく認識論とは内容的にも別のものである。ただ、具体的な認識のありかたの一部に範疇とよばれる認識が存在し、認識論の一部に範疇論が入ってくると同時に、認識そのものの展開が論理的な性質をもっていて論理学の対象となるという意味で、二つの側面から論理学の問題が認識論のなかに入りこんでくる。このことは、形式論理学のことを考えてみてもすぐわかることであって、形式論理学と認識論とは同一のものであるなどといえば、まず笑いものにされるであろう。弁証法以外に形式論理学を認めるなら弁証法以外に論理学ということばを必要とするし、論理学と認識論を区別するならそのほかに認識論ということばも必要である。ブルジョア哲学が、この三者を何と解釈したか、三者のむすびつきをどう扱っているかは別として、三者を区別することがブルジョア哲学への譲歩であるなどという結論は、どこからも出てこない。結局、弁証法と論理学と認識論は、たがいに浸透しあっているそれぞれ別個の科学であって、三つのことばは必要だということになる。
これは何を意味しているか? レーニンがあやまった命題を書きのこしたということを意味している。哲学者たちが何とか合理的な解釈を与えようと骨を折ったにもかかわらず、混乱からのがれることのできなかった根本的な原因は、命題そのものがもともとあやまっていたことにある。ミーチンたちも永田広志もレーニンを盲目的に礼拝して、命題を頭から正しいものと信じ切っていたために、キリキリまいをしたのであった。
それでは、なぜレーニンがこんなあやまりにおちいったのであろうか? 『唯物論と経験批判論』の執筆当時、ゴリキイにあてて「私は哲学の上では単純な一マルクス主義者にすぎません」とか「哲学はよく読んでいません」とか書きおくったことからもわかるように、レーニンのドイツ古典哲学の研究はまだ不十分であった。マルクス=エンゲルスによるヘーゲルの批判を、レーニンは正しくかつ具体的に理解していたとはいえなかった。そこにヘーゲルの『論理学』を読んで、これにひきずられてしまったものと思われる。もともとレーニンには、認識をさすことばをその認識の対象へもちこむ傾向があった。客観的真理ということばは、客観的事物とむすびついている真理という意味で、認識をさすことばであるが、レーニンは『唯物論と経験批判論』でこれを真理をつくり出した客観的実在の意味に解釈している。『哲学ノート』でも同じ解釈を行なっている。(これについては季刊『現状分析』一一号および一三号の私の小論を参照)したがって、認識をさすことばである弁証法を、この認識を与える事物に持ちこむヘーゲルのやりかたに疑問を持たず、そのまま受けいれたとしても、やむをえなかったという気がする。現に、「事物の弁証法は理念の弁証法をつくりだす。」などと、ヘーゲル流のことばのつかいかたをして、マルクス=エンゲルスの「還元」を無視し、「還元」以前に逆もどりしてしまっている。
この逆もどりはどんな結果をもたらすか? まず、せっかくマルクス=エンゲルスが与えたところの、弁証法的な性質と弁証法との区別が解消させられ、すべては弁証法一本に解消されてしまう。われわれの認識は、弁証法的な性質をもっているが、この性質は認識独自の具体的なありかたとして認識論でとりあげられ、外界の事物と相通ずる抽象的な論理として論理学でとりあげられるわけである。同じく認識を扱いながら、二つの科学はその扱いかたを異にしている。いま、弁証法的な性質を弁証法とよべば、扱いかたがどうあろうと、どちらも弁証法についての科学であることに変りはない。こうして、認識論も論理学も、同じく弁証法についての科学になってしまい、弁証法ということばさえあればほかのことばは不要だという結論が出てくる。すなわち、三者が同一だというレーニンの命題は、レーニンのヘーゲル的偏向の端的な告白にすぎないのである。
―p.199―
エンゲルスはとかくマルクス主義者によって軽視されがちであって、『反デューリング論』を徹底的に検討してみようという学者がほとんどいない。日本共産党の指導者にいたっては、弁証法のABCすらつかんでいない。エンゲルスのこの書物の序説では、形而上学者を批判して「彼らは全然媒介のない対立物のなかで考える」と指摘している。蔵原惟人は『前衛』六〇年一二月号でいう。
「これらの同志は、市民組織のなかでその一員として活動すると同時に、党員として活動したのである。これは、あれかこれかという対立的なものでなく統一したものであって、そこには矛盾はない。」(「安保闘争と知識人の思想)
市民組織と共産党は、後衛対前衛という対立した性格をもつ。だがこれを対立と認めると、後裔と前衛の対立の統一を実現することが組織問題の解決であり、この非敵対矛盾の実現がそれ自体解決であるという、三浦つとむの「堕落した哲学」を認めることになる。この統一が矛盾であることを否定するには、これらを対立と認めるわけにはいかない。一人の人間が後裔であり同時に前衛であることを、媒介のある非対立物として説明しなければならない。すなわち裏返しの形而上学であって弁証法ではない。
山田宗睦は「資本論の方法による資本制の分析」を、「資本制社会に支配的な哲学・ブルジョア観念論は、ぼう大な諸観念の集成であるひとつの体系として、観念はその細胞形態として、あらわれる。」というところからはじめようとする。しかし『資本論』は、誰も知っているように「諸社会の富」からはじまっている。われわれの社会における精神的な富、社会的な形態をとった精神的な富において、その原基形態あるいは細胞は何かというところから考えていくならば、そこに表現が、なかでも個々の言語がうかびあがってくるであろう。そして山田のように意識を「物質の反映と、この反映の認識との二重の観点のもとに」とらえるのではなく、言語を二重の表現においてとらえ、言語で表現される認識の二重性格を問題にするであろう。そして、商品における価値と、言語における意味とが、共通した論理構造を持っていることをとりあげて、言語の内容の問題へすすんでいくであろう。
「価値はむしろ、どの労働生産物をも一の社会的象形文字に転化する。のちに至って人々はこの象形文字の意味をとこうとし、彼ら自身の社会的産物――けだし、価値としての諸使用対象の規定は言語と同じように彼らの社会的産物である――の秘密を探ろうとする。」(『資本論』第一巻第一篇第一章第四節)
このような問題について、私は五四年以来何度か書いたことがある。山田は、必要な「材料を仔細にわがものとなし、それの相異なる発展諸形態を分析し、それらの形態の内的紐帯を嗅ぎ出」すに至っていないように思われる。
つぎに、山田のミーチン批判の弱点は、ミーチンがレーニンの『哲学ノート』を盲目的に礼拝したことにメスを入れるのではなく、この点ではミーチンあるいは加藤正のあとについていったところにある。哲学におけるレーニン的段階を無視していることがデボーリンの罪状の主要なものの一つにあげられており、これがマルクス=エンゲルスよりも高い段階であるということは、ミーチン以来官許マルクス主義の定説として確立している。しかし前の節で明らかにしたように、このレーニン的段階なるものの本質的な部分をなしている命題があやまりだということになると、この定説がグラついてくる。レーニンは革命運動その他の問題に弁証法を適用し具体化したという点では前進していても、本質的な理論の分野ではあやまりをおかしマルクス=エンゲルスよりも原則的に後退したと考えなければならなくなってくる。しかも、さきにあげた命題ばかりでなく、金科玉条視されている『弁証法の問題によせて』と題するノートの断片にもいくつかのあやまりがあるように思われる。この断片の検討は長くなるので、つぎの機会にゆずりたい。
スターリンがあやまっているといわれるならば、信用できるけれども、レーニンがあやまっているといわれたのでは信じがたいという、新興宗教的な指導者礼拝のカスがのこっているマルクス主義者もすくなくないらしい。私のレーニン批判についても、信じられない気持の読者もあろう。レーニンの命題のほうを信用したい気持の人は、いま一度エンゲルスのことばをかみしめてほしいと思う。認識論は、認識とよばれる特殊な過程の特殊性を解明しなければならない。だが弁証法はそうではないのである。
「それら(大麦の生活過程や積分計算――引用者)は否定の否定であるという場合、私は、それらすべてをこの一つの運動法則のもとにひっくるめているのであって、まさにそれゆえにこそ、おのおの個々の特殊過程の特殊性のことは考慮していないのである。だが弁証法とは、自然・人間社会および思惟の一般的な運動=発展法則に関する科学以上のものではない。」(『反デューリング論』第一篇第一三章)