マルクス『経済学・哲学草稿』
城塚登・田中吉六訳/岩波文庫(昭和39年3月16日)
原著 Ökonomisch-philosophische Manuskripte
著者 Karl Heinlich Marx
(注)強調部分は訳書では傍点。
−p.3−
一、訳の底本としては、V・アドラツキー編纂によるマルクス=エンゲルス全集の第一編第三巻に収められたもの …中略… を用いた。 …中略… ただし、若干の字句の読み取り方については、訳注に理由を記した上で下記のディーツ版などによった。 …後略…
二、原文においてイタリックになっている部分には傍点*を付した。 アドラツキー版で校定のさいに補った部分は〈 〉にいれ、訳者が読者の理解のために補った部分は〔 〕にいれた。 ただし、表題だけはアドラツキー版による部分も〔 〕にいれることにした。 また、草稿において後から縦線などによって消されている部分は《 》にいれてある。 書名は『 』にいれ、引用符にいれられている部分は「 」にいれた。
…中略…
四、アドラツキー版では、校定のさいの覚え書を詳しく脚注に示してあるが、本訳書では邦訳の読者に必要と思われるものだけ選び、訳注に示した。 その部分の訳注の最後に〔ア〕と記してある。
(注)*傍点部分は強調で示した。
−p.11−
すでに私は『独仏年誌』のなかで、ヘーゲル法哲学批判というかたちで、法律学および国家学の批判をおこなうことを予告しておいた(1)。 印刷にまわすため、その仕上げをすすめているうちに、〔ヘーゲル法哲学という〕思弁にたいしてだけ向けられている批判と、その〔ヘーゲル法哲学がとりあつかっている〕種々の素材そのものの批判とを混ぜあわすことは、まったく不適当であり、〔議論の〕展開をさまたげ、理解を困難にするものだということが明らかとなった。 そのうえまた、とりあつかわれるべき主題は盛り沢山であり、種類を異にするものであるから、それを一冊の本に無理にまとめるには、まったく断片的な警句のような様式をとるほかないであろうし、他方また、そうした警句的叙述というものは、勝手気ままに体系化したような外観を呈することになるだろう。 それゆえ私は、べつべつの独立したパンフレットで、法律、道徳、政治などの批判をつぎつぎにおこない、そして最終的に、一つの特別な著作のなかで、ふたたび全体の連関や個々の諸部分の関係をつけ、最後にあの素材の〔ヘーゲルによる〕思弁的なとりあつかいにたいする批判を加えるよう試みるつもりである。 こういう理由から、本書では、国家、法律、道徳、市民生活などと国民経済(2)との関連については、ただ国民経済それ自身が職務上から〔ex professo〕これらの対象に触れている範囲だけしか触れられていないことに気づかれるであろう。
国民経済学に精通している読者にたいしては、私の諸結論が、国民経済学への良心的な批判的研究にもとづく、まったく経験的な分析によってえられたものだということを、最初に断言しておくまでもあるまい。
《これに反し、無知な評論家、すなわち「ユートピア的なおしゃべり」というおしゃべり、あるいはまた「全然純粋な、全然決定的な、全然批判的な批判」だとか、「単に法的なばかりでなく社会的でもある、全然社会的な社会」「緊密に結びついた大衆的大衆」「大衆的大衆の代弁者らしい代弁者(3)」だとかいうおしゃべりを、実証的な批判者の頭上に浴びせかけ、それによって自分の完全な無知と思想的貧困とを蔽いかくそうと努めている評論家――こういう評論家は彼が自分の神学的な家族内の出来事のほかに、現世的な出来事についてもまた一言口出しできるという初めての証明をこれからしてみせねばならないのだ。》
私がフランスやイギリスの社会主義者のほか、ドイツの社会主義的諸労作を利用したことはいうまでもない。 しかし、この科学についての内容豊かで独創的なドイツの労作といえば――ヴァイトリング(4)の諸著を別とすれば――結局のところ『二一ボーゲン(5)』誌にのったヘスの諸論文(6)と、『独仏年誌』のなかのエンゲルスの「国民経済学批判大綱」(7)とに集約されるのである。 同様に私もまた『独仏年誌』では、本書の手はじめとなる諸要点を、きわめて一般的なやり方で予示しておいたのであるが。
《国民経済学の批判にとりくんできたこれらの著作家のほかに、実証的な批判一般、したがってまた国民経済学にたいするドイツの実証的な批判は、その真の基礎づけを、フォイエルバッハの諸発見に負っている。 にもかかわらず、彼の「将来の哲学〔の根本問題〕(8)」と『アネクドータ(9)』誌上の「哲学改革のための〔暫定的〕提言(10)」とにたいして――しばしばこれらの労作を黙って利用しながら――ある者はつまらぬ嫉妬心から、ある者は本当に腹をたてて、その抹殺のため本式の陰謀をくわだててきたようである。》
実証的な人間主義的および自然主義的批判は、まさにフォイエルバッハからはじまる。ヘーゲルの『現象学(11)』と『論理学(12)』以来、真の理論的革命を内にふくんでいる唯一の著作であるフォイエルバッハの諸著の影響は、もの静かであるがそれだけまた、より確実、より深刻であり、より広汎、より持続的でもある。
本書の結びの章、すなわちヘーゲル弁証法と哲学一般とへの対決は、今日の批判的神学者(13)とは反対に、私はどうしても必要だと考える。 なぜなら、この仕事はまだ成しとげられていないからである。 ――〔批判的神学者における〕この徹底性の欠如は偶然ではない。 というのは、批判的神学者といってもそれ自体やはり神学者であるに変りはなく、したがって、一つの権威としての哲学の一定の諸前提から出発せざるをえないか、それとも、批判をすすめるうちに、また他人の諸発見によって、自分の哲学的諸前提に疑いが生じた場合、これらの前提を臆病な不正なやり方で放棄し、捨象して、これらの前提への自分の隷従とその隷従にたいする怒りを、ただもう消極的な、無意識な、詭弁的なやり方で表明するか、このどちらかなのだからである。
《〔批判的神学者は〕消極的な、無意識なやり方で表明するといったが、その表明はどのようにしてなされるかというと、それは一方では、彼自身の批判の純粋さについてたえずくりかえし断言することによってなされ、また他方では、批判がその誕生の地――ヘーゲル弁証法とドイツ哲学一般――にたいし対決することを必要としていることや、近代的批判がそれ自身の被制限性と自然に成長した状態とをのりこえて、みずからを高めることを必要としているということから、観察者の眼も自分自身の眼もそらすために、むしろ、まるで批判がとりあつかうべきなのは、まだ自分以外の批判の制限された形態――たとえば十八世紀の形態――や大衆の偏狭さだけなのであるかのような外観を生みだそうとすることによってなされるのである。》
結局のところ、批判的神学者は、一方では彼自身の哲学的諸前提の本質についての諸発見――フォイエルバッハのそれのような――がなされたときには、まるで彼がそれをなしとげたかに見せかけようとし、しかもそのように見せかけるやり方はといえば、それらの諸発見の成果を仕上げることもできずに、それを警句というかたちで、あの〔ヘーゲル〕哲学にとらわれている著述家にたいして投げつけるというやり方なのである。
他方ではさらにまた批判的神学者は、彼があの〔フォイエルバッハによる〕ヘーゲル弁証法の批判にもまだ欠けていると嘆くヘーゲル弁証法の諸要素、彼の利用できるほどにはまだ批判的にはなっていないヘーゲル弁証法の諸要素を、けっして彼自身で正しい関係にもたらそうとは努めず、あるいはもたらすことができないで、かえって〔あのフォイエルバッハの〕ヘーゲル弁証法批判に対抗して、このヘーゲル弁証法の諸要素を秘密の、陰険な、懐疑的なやり方で主張することによって、したがってたとえば、肯定的な(14)、自己自身からはじまる真理という〔フォイエルバッハの〕諸発見や《…原文ナシ…》等々に対抗して、媒介的証明(15)という〔ヘーゲルの〕範疇をそれ独特のかたちで仔細ありげなやり方で主張することによって、あの〔フォイエルバッハの〕諸発見よりも自分の方が卓越しているという意識を手に入れることを心得ているのである。
この神学的批判家が、すべてのことは哲学的側面にもとづいてなさるべきだとし、それによって、純粋性とか決定的状態とかにつき、また全然批判的な批判につきおしゃべりすることができるなどと思うのは、むしろまったく当然のことであり、そして彼は、もしヘーゲルの一つの契機といったものがフォイエルバッハには欠けていると彼が感じでもすれば、それこそ自分が哲学の真の克服者であるかのように思いこむのである。 なぜなら、神学的批判家は、いかに熱心に「自己意識」や「精神」の唯心論的な偶像崇拝につとめようとも、感じ〔の段階〕を超えて意識にまで到達することはできないからである(16)。
精確に観察するならば、神学的批判は――それが運動の当初にはいかに進歩の現実的一契機であったとしても――究極においては、旧哲学的な、とくにヘーゲル的な超越の、神学的カリカチュアにまでゆがめられた極端と帰結以外のなにものでもない。 むかしから神学は哲学の腐敗した部分であったが、この神学をして哲学の消極的解体――すなわち哲学の腐敗過程――そのものの告示者とさせているこの興味深い歴史の審判、この歴史の復讐〔Nemesis〕については、私は別の機会に詳しく立証するつもりである(17)。
《それとは反対に、哲学の本質についてのフォイエルバッハの諸発見が、なおまだ――少なくともそれらの発見を証明するためには――哲学的弁証法との批判的対決をどれほど必要としたか、ということは、私のしてゆく説明そのものから見てとることができよう。》