ことば、認識と表現のページことば・その周辺ディーツゲン・マルクス・エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』>訳 註

訳 註

 

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(1) 規範的人間 カール・グリューンを典型的な代表者とする「ドイツ社会主義または真性社会主義」について、マルクス=エンゲルスはいっている――「それはドイツ国民を規範的な国民(normale Nation)、そしてドイツの素町人を規範的人間(Normalmensch)だと宣言した」(『共産党宣言』、三・1・C・ドイツ社会主義または真性社会主義)。

 

(2) 青年ヘーゲル派 ヘーゲルの死後シュトラウスの『イエズス伝』(一八三五年)をめぐる宗教上の論争を機として、ヘーゲル派は保守的な「右派」または「旧ヘーゲル派」(Althegelianer)と急進的な「左派」または「青年ヘーゲル派」(Junghegelianer)とにわかれた。前者にぞくするのは初期のB・バウアーそのほかいまはわすれられた人々であり、後者にぞくするのはシュトラウス、ルーゲ、後期のB・バウアー、フォイエルバハ、シュティルナーなどであった。

 

(3) イデオロークたち 階級的な思想、理論、観念体系としてのイデオロギーの生産や普及を担当する人々。本書の六七ページにわれわれはそのくわしい特色づけをみいだすであろう。

 

(4) ディアドコスたち アレクサンドロス大王のあとつぎたち。

 

(5) カテゴリー もっとも基本的な、もっとも一般的な基本概念。唯物論においてはそれは客観的現実の本質的なつながりを反映するものとして理解されるが、観念論においては反対にアプリオーリ(先天的)に理性や精神の活動方針としてみちびきだされる。

 

(6) 旧ヘーゲル派 註(2)を参照。

 

(7) リキニウスの耕地法(Licinisches Ackergesetz) 紀元前四世紀前半のローマの政治家リキニウス(Licinius Calvus Stolo, Gaius)は、護民官として前三七六年にルキウス・セクスティウス(Lucius Sextius)とともにルキニウス法(leges Luciniae)を提案したという。これによれば、(a)市民は五〇〇モルゲン以上の公有地を所有してはならない。(b)負債のある平民がいままでにはらった利子部分は元本からさしひかれて、残額は三ヶ年の年賦で祓われなければならない。(c)執政官の一人は平民でなければならない。――この法案は前三六七年になって法律になったという。

 

(8) 暗箱(camera obscura) レオナルド・ダ・ヴィンチによって発明されたという投影装置。暗い箱の一ヵ所に一つのちいさな穴があけられ、外部の対象からくる光線がこの穴をとおって前方の平面のうえにさかだちした映像をつくる。のちにボルタは収斂レンズをもちいてこれを改善した。

 

(9) 『ドイツ・フランス年誌』(Deutsch-Französische Jahrbcher. Herausgegeben von Arnold Rage und Karl Marx. 1ste und 2te Lieferung. Paris. 1844.

 

(10) 聖家族(Heilige Familie) もともとはキリスト、聖マリア、聖ヨセフたちの一族をさし、これはしばしば画家の主題とされていた。マルクスおよびエンゲルスはすでに『聖家族。批判的批判の批判』(一八四四年)という本を書いたが、これについてレーニンは説明している――「『聖家族』というのは、哲学者バウアー兄弟とその追随者たちにたいするこっけいな呼び名である。この先生たちが説教したのは、あらゆる現実を超越し党派と政治を超越するところの批判であり、あらゆる実践活動を否定して周囲の世界とここにおこなわれる事件とをただ『批判的』にのみ観照するところの批判であった。バウアー一派の先生たちは、高所からプロレタリアートを無批判的な大衆としてあつかった。この馬鹿げた有害な潮流にたいしてマルクスとエンゲルスは決定的に反対した。真実な人間的人格である労働者、支配階級と国家とによってふみにじられている労働者のために、かれらは観照ではなく、よりよい社会制度のための闘争を要求した。このような闘争をおこなう能力とそれへの関心とをもつ勢力であるとかれらがかんがえたのは、もちろんプロレタリアートであった」(『フリートリヒ・エンゲルス』、一八九五年。

 

(11) 『ハレ年誌』 Halische Jahbücher für deutsche Wissenschaft und Kunst, Erster Jahrgang. 1838. Leipzig, Otto Wigand. 1838.

   『ドイツ年誌』 Deutsche Jahbücher für Wissenschaft und Kunst, Herausgegeben unter Verantworlichkeit der Verlagshandlung 2, Juli 1841―Dezember 1842. Leipzig, Wigand. 1841―1842.

 

(12) 世界風物劇場(theatrum mundi) 一七世紀および一八世紀における世界史上の大事件をとりあつかった芝居であり、それの演じられる小劇場の舞台には諸国の風物をえがいた造作がとりつけられていた。

 

(13) ライプチヒの書籍市 ライプチヒの定期市は一八世紀以来ドイツにおけるもっとも有力な商取引の場所となり、ここにはとくに書物の市もさかんであった。

 

(14) ラインの歌 ベッカー(Nikolaus Becker, 1809―1845)が一八四〇年につくった歌。"Sie sollen ihn nicht haben, den freien, deutschen Rhein" というこの歌は多数の作曲によって当時のドイツに熱狂的にもてはやされた。ただし、ベッカー自身はきわめて平凡な下級法務官吏にすぎなかった。

 

(15) 『ヴィガント季刊誌』(Wigand's Vierteljahrsschrift, Leipzig 1845) ドイツの出版業者オットー・ヴィガント(Otto Wigand, 1795―1870)によって刊行された雑誌。

 

(16) 無受精発生(generatio aequivoca) ふるい生命観によれば、生物は受精なしに直接に無生物から発生しうるものとされていた。これを無受精発生という。しかしテクストのこの箇所におけるこの表現は、まだ労働および生産によって自己の歴史をふみだしていない『人間』、いわばまだ自然そのもののなかにうずもれている『人間』をさすのにもちいられている。

 

(17) 原文――……nicht die Natur, die heutezutage, ausgenommen etwa auf einzelnen australischen Koralleninseln neueren Ursprungs, nirgends mehr existiert, also für Feuerbach nicht existiert. 訳者は前後の意味のうえからこの原文の最初の "nicht" をはぶいて訳した。おそらく原文そのもののあやまりであろう。ロシア語はこの "nicht" を生かしながら、しかしあとの否定の文句を肯定の意味にあらためて、つぎのように訳している。――『……(ちかごろ出現したオーストラリアのいくつかの珊瑚島などを別とすれば)今日どこかにまだ存在しているような自然ではなく、したがってまたそれはフォイエルバハにとっても存在しない』(マルクス=エンゲルス全集、アドラツキー編、ロシア語版、第四巻、一九三三年、35ページ)。

 

(18) 穀物法反対同盟(Anticornlaw-League) 穀物関税の撤廃と自由貿易の貫徹とを目的とした同盟。一八三一年にコブデン(Richard Cobden, 1804―1865)によってマンチェスターで結成され、四六年にその目的をはたしたのち、四九年に解散した。マルクスはブリュセル民主主義協会での演説『自由貿易問題についての講演』(一八四八年)のなかでこの「同盟」にふれている。

 

(19) 航海条例(Navigationsakte) イギリスにおいて航海の保護と造船の振興とのためにさだめられた一連の条例。これらの起源は一五世紀にまでさかのぼるが、そのもっとも有名なのは一六五一年のクロンウェルの航海条例である。これは、国際的な仲介貿易におけるオランダの勢力にたちむかうと同時にイギリス艦隊をつよめるためのものであった。それによれば、イギリスへの外国商品の輸入はイギリスあるいは原産国の船舶によらなければならず、イギリス植民地との貿易および沿岸貿易もイギリスの船舶にのみゆるされ、植民地との直接の通商は禁止されてイギリスを経由しなければならなかった。この条例はそののちもいくたびか改訂され補強されたが、ついに一八四九年に沿岸貿易その他の点をのこして撤廃され、一八五四年にはこの点もふくめて完全に撤廃された。

 

(20) ローマ市民法にもとづく所有権(dominium ex jure Quiritum) クイリテス(Quirites)というのは古代ローマ人の名称である。クレス(Cures, Quiris)を都とした古代イタリアのサビヌス族(Sabini)との統一がおこなわれてから、ローマ人は国家公民の意味においてはクイリテス、そして政治および軍事のうえではロマニ(Romani)と称していた。Ius Quiritum(Quiritium)というのはかれらのふるい慣習法であって、とくに所有権、夫権、戸主権についてのものである。

 

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